聖教新聞の抜粋1

◾️ テーマは「人間ゲーテを語る」。文豪ゲーテの生涯と精神を巡る講演は、先生が青春時代に座右とした彼の言葉から始まった。
「誠実に君の時間を利用せよ!/何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな」
一生き生きと、青春を生きる人間ほど偉大な人間はいない。強いものはない!これがゲーテの誇り高い生き方だった。自分が決めたこの道で、これから一生涯、戦ってみせる。その原動力は、青春にある!
こう決めて、私も青年時代を生き抜いた、と。


◾️ 師のもとで詩人、作家としての骨格を築き上げた青春時代の鍛錬を「素晴らしい、予感にみちた仕合せな日々」だったと述懐したゲーテ。25歳で発刊した『若きウェルテルの悩み』は各国語にも翻訳され、ドイツ文学を世界に知らしめていった。
その後、彼はワイマール公国の君主の招聘を受け、政治の世界に進出。約10年間にわたり、財政、産業、教育など国政全般で卓越した手腕を発揮する。その業績は、政治に「人道主義の精神を導入した」として高く評価された。
ゲーテに向けられたのは賛辞ばかりではない。しかし、彼は泰然自若としていた。「人間がほんとに悪くなると、人を傷つけて喜ぶこと以外に興味を持たなくなる」と。非難や中傷にもひるまず、愛する妻子に先立たれる苦悩も乗り越え、死の直前まで使命の人生を歩み通した。

◾️ それは保健師となって5年目のある日、同居する父が心臓発作で急逝した時のこと。先輩は、落胆する米谷さんの声にじっと耳を傾け、最後に言った。
「今は苦しいかもしれない。でも信心していけば、その苦しみにも必ず意味があったと分かる時が来る
よ」
その言葉を胸に抱きしめながら、米谷さんは、先輩たちと共に学会活動に歩き、さまざまなことを教わった。地域の友を家族のように思いやる心。悩みがあると聞けば、すぐに飛んでいって心の痛みを分かち合おうとする姿勢。そして、立ち上がるその日まで、友のために祈り待ち続ける真剣さ......。
「学会での一つ一つの経験が、被災地での活動に生かされた」と振り返る。
谷さんは今、組織で総県女性未来本部長を務め、未来の宝に学会活動の大切さや、師匠と共に歩む素晴らしさを伝えている。「それが被災地で働く中で確
したことですから」
私たちも、それぞれの地域で学会活動を通して思いやりの心を広げていきたい。

◾️ 池田先生は、「大きい戦いといっても、実は日々の小事の積み重ねであり、目の前の課題への勇気の挑戦の繰り返しにほかならない。ゆえに、一切の油断を排し、競い起こるあらゆる魔を打ち破って、一つ一つを真剣勝負で勝ち切っていくのだ。一日一日を断固と勝ち取っていくのだ」と教えています。
今日を勝ち、明日を勝つ!それが、大聖人と同じ“師子王の振る舞い”なのです。

◾️ 御文
各々、師子王の心を取り出だして、いかに人おす
ともおずることなかれ。子王は百獣におじず。子の子、またかくのごとし。彼らは野千のほうるなり。
日蓮が一門は子のうるなり。
(聖人難事、新1620・全1190)
【通解】一人一人が、師子王の心を奮い起こして、どのように人が脅してきても、決して恐れてはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子も、また同じである。彼ら(正法を誹謗する人々)は野千(キツネの類い)が吠えているようなものであり、日蓮の一門は師子が吼えるのと同じである。

◾️ 折伏したから守られるはずとか、そういうことではなくて、いざという時、“ここから勝負や”って思えるか。先輩が臆病な心を吹き飛ばしてくれたんで
す」
闘魂に火がついた。題目が口を突いて出た。唱えるほどに心の闇が晴れていく。

◾️ 先生は小説『新・人間革命』で「人生には、迫害の嵐、宿命の嵐が吹き荒れ、苦悩に苛まれることもあり
ます」「苦楽ともに唱題し抜く。その弛みなき精進のなかに、持続の信心のなかに、宿命の転換も、人間革命もあるんです。“題目を唱えることが、楽しくて、嬉しくてしょうがない”と実感できるようになれば本物です」とつづっている。
「祈っていると、治らないんじゃないかって、いろんな雑念が湧いてくる。その時は“必ず治します”って誓いを込めて祈る。迷った時、そこが勝負なんです。全て本尊様にお任せする。祈り抜くと、不安が吹き飛ぶ。先生と心が一つになる瞬間がある。そうやって祈れること自体に感謝しかないんです」

◾️ 印象に残った作品がある。それは1枚のメモの写真。野球部員が部活を引退した日、空っぽになった弁箱に入れたもの。「3年間ありがとう」▶照れながら書いたであろう野球部員と、わが子のために早起きして弁当を作り続けた母。親子の笑顔まで浮かんでくるようで、何げない日常こそ、かけがえのない宝だと気付かせてくれる♥御書は「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞い」(新1597・全1174)と説く。皆が驚くような成果も素晴らしい。同じように、周囲の人に心を尽くす日々の小さな行動の中にも、仰の真価は表れる。その周りには、支え励まし合う人の輪が広がる。それを幸福と呼びたい。(竹)

◾️ ◆勝利のために生まれてきた
文豪ギマランエス・ローザの言葉を、君たちに捧げたい。
「私は勝利をうるために生まれてきた」
「どんなことがあっても、私はひるみはしない」どんな困難があろうとも、断じて負けない。断じてひるまない。最後は、仏法を持った私たちが勝つ!
ーこの気概でいきましょう。

◾️ 乞眼の婆羅門
人間をじ抜く難しさを伝えた仏教説話がある。さまざまな御書に記されている「乞眼の婆羅門」の話
だ。
釈尊の弟子・舎利が過去世で菩薩道の修行に励んでいた時、婆羅門が訪ねてきて「あなたの眼が欲しい」と言った。舎利弗は眼を差し出すが、感謝の言葉さえない。それどころか、その眼を「臭い!」と地面に捨てられ、足で踏みにじられた。舎利弗は“こんな人は救えない”と諦め、長年続けてきた修行をやめて
しまう。乞眼の婆羅門の正体は「万人の仏性をじ抜く心」を破ろうとする「魔」であったのだ。

◾️ 日蓮大聖人はこの説話を通し、弟子・南条時光に「願わくは、我が弟子等、大願をおこせ」(新1895・全1561)と仰せだ。「不」をもたらす弱い心に打ち勝つには、人々のために行動することを誓い、常にその「誓願」に立ち返る以外にないと訴えたのである。
現代において、それを実践しているのが「学会員」だと、池田先生は断言された。「罵詈中傷されるなかで、わが魂をすりへらす思いで、人々のために尽くそうとしていく。それが、どれほど尊い菩薩の行動の真髄であるか」「唱題を重ねるなかで、”“あの人にも仏性がある” “あの人の仏界に届け”とさらなる対話と行動に雄々しく進んでいく。そして、結果として、自己の境涯を大きく拡大していくことができるのです」
(『開目抄講義』)

そうか!父も母も、そして先輩たちも、自分の弱い心に打ち勝つために祈り、行動していたのか。先生は「苦闘即勝利」とも仰った。本尊に向かう私の胸中でも「信」と「不信」がせめぎ合っている。でも、これでいいんだ!

◾️ 毎日1時間2時間と祈り続けること約2カ月一一腹が決まった。「折伏って、人をじ抜く生き方そのものなんだ」。私は、緑する全ての友人や同僚への仏法対話を開始した。

◾️ つくづく、友人は自分を映す「鏡」だと思う。相手をじ腹を割って話した分だけ、尊敬や感謝の念を込めて言葉を紡いだ分だけ、そして幸せを祈り抜いた分だけ、相手も心を開いてくれる。たとえ互いの全てを理解し合うことはできずとも、信頼は確かに生まれる。この折伏の喜びを分かち合える学生部の後輩が一人また一人と増えていることも、うれしくて仕方がない。

◾️ 池田先生は「その場所がどうなっていくかは、人間の一念によって決まっていく。人びとが正法を受持して、強く清らかな善なる心で、郷土の建設に取り組んでいくならば、いかなる地も、必ず、常寂光土となることを教えているのが、まことの仏法である」

◾️ ♥都内のある学生部員が親友に仏法対話したが、学会への理解を得られなかった。その友人が仕事で窮状にあると聞いても何もできずにいた時、別の友人に言われた。「大切な友達なら、何を言われても本音で、君がじる仰の確を伝えるべきではないか」▶ハッとした。自らの弱さと向き合うことから逃げていた彼は、勇気を出して親友の元へ。自分にも悩みはあるが、心で立ち向かっている現状を率直に語った。彼の訴えに心揺さぶられた友人は“自分も強くなりたい”と昨年10月に入会。今、共に人間革命の道を歩む▶池田先生は「気取らず、ありのままの自分で、相手の幸福を祈り語ればよい。そこに命の共鳴が生まれ、深い仏縁が結ばれるのだ」と。 “本の自分”を知ってもらえば、友情は強くなる。心を動かすのは策ではない。心である。

◾️ 時間がたつほど事態が悪化することもあれば、時間をかけることで事態が良くなることもあります。時間は毒にも薬にもなる。その分かれ道は、大変な時間を“他者と共有しているかどうか”だと思っています。
孤立している人は、自分一人で何とかしようとして、事態を余計に悪い方向に向かわせがちです。一方で、心配してくれる誰かとつながっている人は、時間の流れの中で、事態を好転させることができる。

◾️ 「とりあえず何がいいのかを考えていこう」というように、完璧な答えや成果を求めない環境をつくっていく。そのような問いや仮説は、さまざまな状況やデータによって検証されたり、反証されたりもするわけですが、まずは、どんどん問いや仮説を立てていこうと言っています

◾️ 「祈禱抄」の一節には、「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(全1351・新59
と断言されている。この法華経に勝る兵法は、絶文ない。


◾️ 生”の火ともす励まし
だれでもいい、そばにいてあげることです。一緒にいて、話を聞いてあげる。一言でも励ましてあげる。
それによって、苦しんでいる心に、パッと “生”の火
がともる。
「自分のことを思ってくれる人がいる」ーーその手応えが、苦悩の人の生命空間を、すっと広げてくれるのです。他人や世界と “共にある”という実感があれば、必ず立ち上がることができる。それが生命のもっている力です。だから、「善き縁」が大事なのです。
仏法でいう「善知識」です。

◾️ 時には、人間関係がわずらわしくなって「一人で生きたい!」と叫びたくなることもあるだろう。しかし、それは現実には不可能です。仙人になるのでもないかぎりー。
だとすれば、どうするか。自分から「いい人間関係」をつくるしかない。そういう関係をつくれる人間に、自分がなる以外ない。人間関係の「悩み」があるからこそ、自分が成長できるのです。悩みに負けなければ、「人格」が大きく育っていく。
だから、独りぼっちではいけない。人間、一人なんて、ありえない。それでは自己中心のわがままになってしまい、何もできない。

◾️ 戸田先生はつねづね、こう、おっしゃっていた。
Q 71%
「私は愛する妻を亡くしました。愛する子どもも亡くしました。だから私は会長をやれるのです」
人生の苦労もなく、すべて思いどおりに順調にいった人には、多くの人々は救えない。苦悩しなければ、人の心もわからないし、仏法の本当の力もわからない。
困難にあっても、自分こそが人生の「主役」である、「主人公」である、「英雄」であると決めて、前へ前へ進むことである。自分を卑下したり、引いてしまったら、負けである。
何があろうと、自分自身が強くなるしかない。自分自身が境涯を広げるしかない。そうすれば、必ず道が開ける。

◾️ 誰しも苦しみや悩みはある。経済苦や病苦もある。
けれども、妙法を唱え、広宣流布へ進む人は、自分自身が仏の生命となる。いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えゆく仏の智慧と力を、わが命から引き出すことができる。その戦いの中で、わが一念は、真金の如く強くなり、深まっていくのです。

◾️ 「師とともに生き、師とともに勝ち、師とともに未来を見つめた、わが青春ーーそれは苦闘の連続だった。だが、最高の誉れの日々であった。恩師が発した言葉は、一言一句も、もらさずに、すべて実現してきた。この不屈の師弟ありて、今の学会がある」信心を貫き、師弟の道に徹する人は、最後には必ず勝つ一一金吾の勝利のドラマは雄弁に物語っています。

御文
ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給う
べし。すぎし存命不思議とおもわせ給え。
(四条金吾殿御返事<法華経兵法の事>

ただ心こそ大切である。どれほど日蓮があなたのことを祈ったとしても、あなた自身が不信であるならば、濡れた火口(火打ち石を打ちつけて出た火を移し取るもの)に火を付けるようなものである。自身を励まして、強盛に信力を奮い起こしていきなさい。過日、命を永らえることができたのは、不思議なことであると思っていきなさい。

◾️ 池田先生は、この一節を拝し、つづっています。
「『心こそ大切』の『心』とは、『師弟不二の心』であるということです。師匠は常に弟子の勝利を祈ってくれている。弟子が今こそ、強盛な信心を奮い起こしていきなさいと教えられているのです」
人生は途中では決まりません。最後の最後まで、強盛な信心に立ち、師匠と同じ広布の誓願に立って戦うーその中で、本当の力が出る。その中に、本当の幸福があるのです。

◾️


◾️ 何度も言うように、仏法では「桜梅桃李」と説いている。桜には桜の美しさがある。梅には梅の香りがある。桃には桃の彩りがある。李には季の味わいがある。人それぞれに使命があり、個性があり、生き方がある。それを認め、尊重することです。それが自然です。
現に、花たちの世界はそうなっている。百花繚乱です。ところが人間の世界は、違いを尊重できないで、「差別」をしたり、「いじめ」をしたりする。人権の破壊です。ここに根本的な不幸が生まれる。
だれもが、人間として、人間らしく開花し、人間としての使命をまっとうしていく権利がある。自分にもある。人にもある。それが人権です。人権を尊重しないだけでなく人権を侵害するのは、すべての秩序を破壊しているようなものです。人権を大切にし、人を尊敬できるーーそういう「自分自身の確立」が必要です。

◾️ 何のための勉強か
くやはり、教育の問題は大きいでしょう。そもそも「学校の成績が悪いというだけで、人間として下に見られたり否定されたりしているような気がする」といった悩みを抱えている子がいるのも実情です>
勉強は当然、大切です。しかし勉学は、「人間として」自分を豊かにしていくためにある。また、より多くの人に貢献していくためにある。成績は、そのための一つの目標にすぎない。それが、勉強に励んだ結果、人間性をなくしてしまうのなら、本末転倒です。
第一、その人が、どういう人なのか、試験の数字だけでわかるわけがない。

◾️ 戸田先生の原点は、どこにあられたか。それは、恩師牧口先生の獄死でした。牧口先生の死について語るとき、戸田先生は、いつも目に涙をためて、こぶしを握りしめ、憤っておられた。なぜ恩師は死ななければならなかったのか。なぜ正義の人が迫害されるのか。
なぜ愚かな戦争を避けられなかったのか。痛恨きわまる思いであった。
牧口先生は死して牛を出られた。戸田先生は生きて牢を出られた。戸田先生の使命の自覚は鮮烈でした。
牧口先生を殺した「権力の魔性」を、断じて打ち破るのだ。それには、社会の制度や国家の体制を変えるだけではだめだ。根本の「人間」を変えるしかない。民衆が強くなるしかない。民衆が賢くなるしかない。そして世界中の民衆が心と心を結びあわせていくんだ
→と。
創価学会の運動は、民衆による民衆のための人権闘争なのです。

◾️ いかなる世界であれ、最後まで戦い続けた人が勝つ。その原動力は不屈の「決意」「責任感」である。
「私は世界一、幸福だ」と誇れる勝利の人生であっていただきたい。

◾️ 「大事なのは、自分の決意の深さである。自分が決めた仕事を最後まで果たすことである」。そう述べた氏の“戦う精神”を伝えつつ、池田先生は創価の友に訴えた。
「いかなる世界であれ、最後まで戦い続けた人が『最後の勝利』を手にする。その原動力は、不屈の『決意』『責任感』であると、氏は結論されている。
皆さまもまた、最後の最後に『私は世界一、幸福だ』「わが家は世界一、幸福だ』と誇れる勝利の人生で立っていただきたい」

◾️ それは乳子が自身の人生を振り返った言葉。「15歳で学問を志し、30歳で立ち上がり、40歳で迷いがなくなり、50歳で天命を知り、60歳で他人の意見が自然と耳に入るようになり、70歳で自分の心に従って行動しても規範を踏み外すことはなくなった」

◾️

◾️ 「幸福とは、困難がないことではない。何があっても負けない勇気!嵐にも揺るがない希望!それを手放さぬ人が幸福になれる」
女子部の時に出あった先生の言葉。私の人生、まさにこれやん!って思えた。
御本尊に向かいながらも、不安が全部消えたわけじゃない。でも唱題してると、“絶対に治したい!”って本当の自分の声が聞こえてくる。早く退院して、遊びに行きたいって気持ちも(笑)。
手術は無事に終わった。抗がん剤治療はなく、入院も2週間で。退院の日、父が車で迎えに来てくれた。うれしかったな。ほんと、感謝してる。病気にはなったけど、それ以上にめっちゃ守られたって思った。
寛解に向けて通院は続けてる。結婚とか出産とか、どうなるやろって不安のイメトレが始まる時もある。
けど、乗り越えて笑ってる自分が未来で待ってるって思うと、やっぱり楽しみのほうがデカい。

◾️ 小説『新・人間革命』には、「行き詰まったら原点に返ることだ。題から出発するのだ。妙法は宇宙の根源の法なるがゆえに、妙法への祈りこそ、一切を動かす原動力となるのだ」(第22巻「潮流」の章)とつづられています。
私たちも、強き一念で題目を唱え、自身の人生の苦悩との闘争、広宜流布の大闘争に臨んでいくことが大切です。
池田先生は「二月闘争」の際、「祈りから始める」ことを同志と約し合い、広布拡大の突破口を開きました。
”まさかが実現”の大勝利を築いた「大阪の戦い」
も、池田先生の御本尊への深き祈りから始まりました。
先生は教えています。
「唱題行こそ究極の若さと、無限の活力の源泉なのである。地涌の菩薩たる我らの題目は、誓願の祈りである。いわゆる何かに弱々しくすがる願いなどではない。自ら誓いを立て、その成就へ一念を定め、大宇宙
の根本法則に合致し、全生命で轟かせゆく師子吼なっである。これほど強く、これほど荘厳な力はない」

◾️ ここで確認したいのが、“私たちはどのように、この「信」を深めていけばよいのか”ということです。
御書には「疑いなきを信と日う」(新1047・全
751) ー“「疑いが無い」ことこそ「信」である”との言葉が出てきます。池田先生はこの言葉について、「疑問を明確にし、実践の中で徹底して考え抜いて、心の底から納得することが、仰を深めていきます」と教えています。
「疑ってはいけない」のではありません。この仰の実践に励み、仏法を探究していくならば、「疑いが無い」といえる確信を深めていくことができるのです。
また小説『新・人間革命』には、「仰とは、不信、すなわち揺らぐ心との精神の闘争である。 “自分など、幸せになれないのではないか。何もできやしないのだ”といった心の迷い、弱さを打ち破り、胸中の妙法を現させ、絶対的確信を打ち立てる戦いであるといってよい」(第26巻「法旗」の章)とあります。
自らの弱さや迷いと戦う仰の実践の中で、妙法への確固たる「信」は深まっていくのです。


◾️ 司馬氏はこうも記している。「かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである」(『対訳21世紀に生きる君たちへ』朝日出版社)▶「誰かのために」という生き方を貫き、その念を伝えるには、何よりも自分が燃えていなければならない。「成長の止まった人間は、人に触発を与えることはできない。人を育てるには、まず自分が戦うことだ」と池田先生

◾️ 【子どもへの接し方】
尊敬し、信じ、守り、支える
できるかぎり、子どもに「私は、あなたの最大の味方なんだ」という気持ちを伝えてもらいたいと思う。黙っていても通じる場合もあるが、そうでない場合も多い。
「私は、あなたが、どんなふうになっても、絶対に、あなたを守る。あなたを支え
る。

◾️ あなたが『いい子』だから愛しているんじ
やない。『勉強ができる」から大事にするんじゃない。『がんばっている』から好きなんじゃない。あなたがあなただから好きなんだ。もしも、世界中の人が、あなたを非難しても、みんながあなたをいじめても、私だけは絶対に、あなたを守る!あなたは、私だけはじていいんだよ!」と。
あらたまって、そんなことを言う必要はないが、「心」もやはり、何らかの「かたち」にして伝えないと、わからない面がある。

◾️ 2007年(同19年)2月には長編詩「師弟不二のああ恩師 戸田城聖先生」を発表。その中で詠まれています。
「私の心には/いつもいつでも/笑顔輝く戸田先生がいる。/いまもなお/『先生ならどうされるか』/師との対話の日々の連続である。」

◾️
■ 先生は、「私は、まず自分が動いた。自分が挑戦した」「リーダーは、まず自分が動くことである。自分が自分の目標に挑戦することである」と振り返っています。

◾️ 小心は、青年の最大の欠点である。青年よ、いかなる人生劇場においても、出演者た
れ」
大好きな池田先生の指針です。臆病さ、身勝手さを日々の祈りで乗り越え、自分が決めたこの道で、弟子として胸を張れるよう力をつけていきます。

◾️ 小心は、青年の最大の欠点である。青年よ、いかなる人生劇場においても、出演者た
れ」
大好きな池田先生の指針です。臆病さ、身勝手さを日々の祈りで乗り越え、自分が決めたこの道で、弟子として胸を張れるよう力をつけていきます。

◾️ 池田先生の指導のおかげで今があります。師匠と決めた以上、本物の弟子にならなあかんと思っています」

◾️ 子育てとは子どもに
同じことを何万回も言う生活
誰がやってもそうなる
もともとそういうものなのであきらめて
どうせ言うなら
明るく楽しく言おう

◾️ 子育てで
8:22
@ 69%
あのとき
ああすればよかったと悔やむのは
そのときより
親として
成長している証拠

◾️ 「悪を滅するを『功』」
「善を生ずるを『徳』」
御書。破邪顕正の言論で
(新1062・全762)

◾️ 【祈り】
貫き通せば必ずかなう
青春時代は誰しも悩みの連続です。勉強、進路、友達、家族、恋愛.......。数えれば切りがないことでしょう。結論から言えば、仰は、そうした課題に一つ一つ立ち向かい、勝ち開いていく原動力なのです。
「祈る」ということは、人間にしかできない崇高な行為です。祈りは、自身の本源の生命の発露であり、計り知れない力を持っています。
法華経には、「現世安穏・後生善処」という一節があります。“今の環境が必ず良くなり、そして、永遠に幸福になれる”という意味です。私たちの祈りは、今の悩みが解決できるだけでなく、自分を成長させ、皆を幸せにする人生を歩んでいくことができます。
これが南無妙法蓮華経の究極の力です。
そのための日々の勤行・題の実践です。
本物の仰とは、何かにすがる、弱々しい”お願いごと”“神だのみ”のようなものではありません。真剣に祈り、真面目に努力することで、本当の自分の力、本来の自分らしい可能性を存分に出し切っていくためにあるのです。より偉大な自分自身になるためなのです。もちろん、現実は、思い通りに進まないことも多々あります。祈って、すぐに叶わないこともあるでしょう。
それは、例えれば、大地の深い所に埋まっている宝を取り出そうと必死に掘ったけれども、硬い岩にぶつかって、たどり着かないようなものです。そこで諦めてしまえば、宝を掘り出すことはできません。
同じ道理で、いくら皆さんの生命の大地に無限の宝があっても、それを引き出していくためには、正しく掘る作業、つまり、正しい修行を粘り強く続けることが必要なのです。また、苦労して掘り進んでいくからこそ、体力も知恵もつき、生命力がグングンと鍛えられ、人生を強く聡明に生き抜いていくことができる。
(『未来の希望「正義の走者」に贈る』14
〜16ページ)

◾️ いつも私はじている。使命ある諸君が、何があろうと負けるわけがない
御書には「人の力をませば我がちからまさり」(新2150※新規収録)と。他者のための行動が自分のためにもなる。これが人生と社会の道理であり、創価の生き方だ。この道を堂々と歩み、わが生命の栄光の金字塔を打ち立てよう。(煌)何があろうと負けるわけがない、と。君たちは、「勝つために生まれてきた」のだから!夢に向かって、がんばってもらいたい。


■人間としていかに生きるのか――。池田先生は「自分らしく、使命に生き切った人生劇を、最後の最後まで存分に描いていくこと」が大切と言われています。

■一、先行きの見えない日々の中で、池田先生の『希望対話』の一節に出合いました。

 「いつも私は信じている。使命ある諸君が、何があろうと負けるわけがない、と。君たちは、『勝つために生まれてきた』のだから!」――“そうだ。わが子が負けるはずはない。先生が信じてくださっているんだから、私も信じて待ち続けよう”と、徹底して祈り、学会活動にも一歩も引かずに取り組みました。

◾️ 御文
願わくは、我が弟子等、大願をおこせ。
(中略)おなじくは、かりにも法華経のゆえ
に命をすてよ。つゆを大海にあつらえ、ちり
を大地にうずむとおもえ。(上野殿返事<竜門書>、新1895・全1561)
【通解】願わくは、わが弟子らは、大願を起こしなさい。(中略)同じことなら、仮にも法華経のために命を捨てなさい。それこそ、露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものであると思いなさい。
人類未聞の大業に生き抜く
大切な命を何のために使うかー。

◾️ 法華経のゆえに命をすてよ」とは、決して命を粗末にする意味ではありません。妙法のために生き抜く以上の価値ある人生はないことを、教えられているのです。
ある意味で、私たちの一生は「つゆ」のようにはかなく、「ちり」のようにわずかな存在ともいえます。しかし、広布の「大願」を掲げて妙法流布に生き抜くならば、露が大海に溶け込み、塵が大地と一体になるように、
自身の生命が仏の大生命と境具合し、確固たる幸福境涯を確立できるのです。
“広宜流布の大理想に生き抜く!”ー日々、自らの使命の天地で前進していきましよう。

◾️ 悩みや苦しみを抱え、いつも『救われる側』にいた民衆が、いつしか人々を支え、『救う側」に回り、『柱』『眼目』『大船』となっていく宗教です。世界中に、『民衆の柱』『幸福の眼目』『希望の大船』たる人材を生み出しているのが、創価学会なのです」人間の生命に巣くう “自分さえ良ければいい”といったエゴイズム(利己主義)を克服し、人々や社会に貢献する生き方こそ、仏法者の誉れの生き方なのです。

◾️ しかし、池田先生は、「新しい力」に絶対の頼を寄せていました。
=時の心境について、こう述べています。
「“新しい人”だからこそ、“新しいガ”をもっている。それを引き出そう。新鮮な若芽のような"新しい息吹”もある。それを伸ばそうーそこに私の着眼点があった。いわば新思考である。“新しい発展”は、この “新しい発想”から生まれた」
先生は、組単位の活動に光を当て、折伏の仕方が分からない友がいれば、一緒に仏法対話に歩きます。「新しい力」と共に動き、組織に眠っていた “新しいエネルギー”を引き出しながら、拡大の突破口を開いたのです。
さらに、新たな人材への真心の励ましにも徹しました。

◾️


◾️ まず、戦いは、全関西の強盛な祈りから始まるわけであります。これが第一の要諦です。ただ、唱題して、祈りに祈っていけばよいかというと、それだけでは、どうにもなりません。第二の要諦は、最高の作戦、最高の行動です。これがなければ、勝機をつかむことは、絶対にできない」
「この二つの要諦が調和した時、不可能も可能となり、勝利を得ることができると確いたします。この調和をさせるものは何かというと、それが信心なんです」

◾️ 哲学者の役割は決断を下すことではなく、決断を下す手助けをすることです。私たちは、心の内を見つめるよう促します。自分の中の「内なる哲学者」が引き出されたとき、その人は、自分の進むべき正しい道を知るからです。

◾️ 誰に対しても、自分と対等な立場の人だと認められるかどうか。私の場合、カウンセリングに訪れる人を尊敬するところから始まります。まさしく、法華経に説かれる不軽菩薩の実践そのものなのです。
理解し合えない人や、自分を攻撃するような人と出会うと、私たちは相手を否定したくなります。しかしそうした場合でも、相手のベストを引き出すことができるか。その人の「内なる哲学者」を目覚めさせることができるかどうかです。
もちろんそれは、容易ではないからこそ、道徳的な力、度重なる実践を要します。自分の可能性を開花させる人は、実践に次ぐ実践
を貫く人であると、私は思うのです。

◾️ だけど、つらいとか悲しいとか、泣き言一つ表に出さなかった。その代わり、題目の時間がうんと長くなったんです。ひたすらの題目に、母の悲しみの深さを見ましたよ。そして覚悟も。
いつだか、豊島公会堂で戸田先生の話を母と聞いたんです。分厚いメガネの奥から、こんな話をしてくださったの。
“親が死のうが、家が火事になろうが、子どもが病気になろうが、決して崩れることのない金剛不壊の境涯こそ、絶対的幸福というのです”
母は、本当の幸せをつかもうとしてたんじやないかなあ。
私も江戸っ子だ。人生なんて強気でいかなきゃ。「いかなる病さわりをなすべきや

◾️ 「『人間よ気高くあれ』
ちょっとしたことで落ちこんだり、すぐにくたびれて、だらけたり、意気地なしになったりしてはいけない。“気高くあれ!グッと胸を張れ!”ーこれがゲーテの心でありました。
彼は、こうも言う。
『進んで人を助け善であれ!』
学会活動、仏法の精神にも通じる言葉です。そして、『正しいことをつねに倦むことを知らずおこなえ』と。ゲーテの訴え"
仏法者の行動とも、深く響き合っている」

◾️ 大切なことは、今、生きている私どもが、希望をもち、幸福になっていくことです。その姿が、そのまま、生死不二で、故人の生命に喜びの波動を与えていくのです」
異さんは思った。
“生死不二だからこそ、私たちが前を向いて生きる姿を、あの子も必ず見てくれてい
る”
そして震災から約1カ月後、幼稚園が再開。
亡くなった3人の園児の写真は額に入れられ、職員室に設置された台に置かれた。異さんは折に触れて、亡くなった子どもたちのことを園児たちに語ってきた。

◾️ 指針
報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。
報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです。
(『わが愛する青年に贈る』)

◾️ わが創価学会は、何の力で勝ってきたか。
「勇気」である。
そして「忍耐」である。「団結」である。
この三つで学会は勝ってきた。これを忘れてはならない。
勇気。忍耐。そして互いが仲良く団結して、守り合っていくことだ。
日蓮大聖人は「異体同心」と仰せである。
信心を根本とした団結こそ、御書に仰せのとおりの姿なのである。

◾️ 真の勇者とは
7:58
@ Q 86%
ここで、東西の英知の言葉を贈りたい。
古代ギリシャの大詩人ホメロスは、傑作『イリアス』に綴っている。
「アカイアの勇士たち、そこで、敵が攻めてくるのを待っていてはいかん。ひとりひとり、相手をさだめて向かって行くんだ」
(『完訳イリアス」小野塚友吉訳、風濤
社)
われらの言論戦も、その根本は折伏精神である。戦いは、受け身になっては、絶対、勝てない。最後まで攻めぬいたほうが勝ちであ
る。
日蓮大聖人は「かしこへ・おしかけ・ここ
^・おしよせ」(全502・新600)

◾️ 「元気を出せ!」「躓いたからといって落胆せぬこと。ただちに次の策を立てて進むばかりだ」
広宣流布の戦いにあっても、たとえ何があろうと、落胆する必要などない。動いた分だけ、祈った分だけ、福運は積まれているのである。
大事なのは次だ。前へ進むことだーこれを合言葉としていきたい。
また、幕末の思想家・佐久間象山と晋作の対話のなかで、象山が次のように言う場面がある。
「何もせぬものには何もできぬ」
これが結論である。
私たちは、広宣流布の勝利のために、キュうも「なすべきこと」

◾️ 御書に「大風ふき候えども、つよきすけ
をかいぬればたおれず」(新1940・全1468)
と。試練の嵐が吹いても、強い助けがあれば倒れない。そんな支えがある人生は幸福だ。
自らも誰かを支える善き友でありたい

◾️ 病魔」『死魔」を打ち破る根本のカが、妙法です。『南無妙法蓮華経は子吼の如し』(新1633・全1124)です。大事なのは、『戦う心』と『最高の治療』、そして『生命力』です」
池田先生の言葉に勇気を湧き立たせると、祈りに勢いが戻った。
友人への対話に歩いた。「負けないから見てて!」。ありのままの現状を伝える。病との闘争は、倉心の偉大さを証明するための戦いに変わった。そんな蓬来さんの姿に、「一緒に祈らせてほしい」と、パート先の上司が入会した。

◾️ 私たちの信仰の真価は「人の振る舞い」に尽きる。その振る舞いの核は「心」。「心こそ大切なれ」(新1623・全1192)

◾️ 一番、苦労した人が、一番、幸福になる。
言い尽くせぬ苦難を耐え抜き、勝ち越えた人間と郷士こそが、永遠に輝きわたる希望と歓喜と勝利の春に包まれるー。
(『忘れ得ぬ旅太陽の心で』第2巻「仙
台」)
大雪の烈風吹き荒れる その道も友と語りながら今日も使命のために歩む!

◾️ いかに「もう駄目だ!」と思うような苦境に直面しても、本来、「生き抜く力」「難を乗り越える力」が生命の大地に厳然とある。
その無限の偉大な力を蘇らせるのが、信心なのである。
(随筆「人間世紀の光」創価の使命の花咲
<天地〉)

◾️ 御書の一節が迫ってくる。「苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え」(新1554・全1143)
真剣に祈る中で、かって師匠から贈られた言葉を思い出す。
<学は人格と勝利と人々を幸福にするためにあり>
”そうだ!自分のためじゃない。人の幸せのため、より良い教育の世界をつくるために学んでいるんだ”
研究に挑み続け、20年(和2年)に博士課程を修了。現在は、広島大学大学院で助教として研究に励む。

◾️ そんな気丈な母が題目をずっと唱えているのを見ると、”やっぱり、つらいんだなあ”と空さんは思っていたという。「でも、それは違うって、学生部の活動をするようになって気付いたんです」
同年代の同志と語り合うたび、祈っている人の言葉には“芯”があると感じた。また、折伏をし始めると、友人の多くが悩みを抱えながらも、それを直視できないでいることを知る。
"祈りは現実との戦いなんだ”。戦っているから、母は明るいし、それは強さからくるものだと思った。

◾️

■池田先生は、このように語っています。
 「『一番地道な活動が、一番大事な戦』と決めて戦うことである。そこに、本当の勝利が生まれる。『地道』に徹し、『地道』を粘り強く繰り返しているところが強い。この方程式を忘れないでいただきたい」


■都内のある女性部の友の体験。2人の子どもが立て続けに不登校になった。笑顔の消えたわが子を前に「何度決意しても嘆くような題目しかあげられない」。それでも夫妻は子どもたちを信じ、弱い心を振り払うように祈った。解決策を求めて行動した。地域の同志も陰に陽に支えた▼7年がたった。振り返ると、不思議にも教員や同級生に恵まれ、「子どもたちが自分の力で歩み始めた」。とともに、母として悩んだ分だけ境涯が大きくなり、自身の力となっている。この気付きを得た時、「悩みは、私が幸福博士になるための試練だったのだ」と心から感謝できた▼彼女のこの言葉が出来上がるまで、どれだけの苦労があっただろう。「いちばん苦しんだ人が、いちばん幸福になる。いちばん悩みをもった人が、いちばん偉大な人生となっていく。これが仏法です。だからすばらしいのです」と池田先生▼順風にも逆風にも左右されず、全てを人生勝利の糧としていきたい。信仰は、「不動の自分」をつくり上げる根本の力である。(側)

◾️ 先生は懇談の場で、大学4年生の日下巌さんに就職について尋ねた。
日下さんが「営業マンとして頑張ろうと思っています」と答えると、先生は「社会は厳しい。しかし、その荒波の中で自分自身を鍛えることができる。何があっても負けないで、頑張り通すことだ」と語った。
師の励ましは、日下さんが大学卒業後、住宅販売の会社に就職し、営業マンとして挑戦する上で、大きな支えとなった。
現在、日下さんは北海道総合長として、友の激励に駆ける。5人のメンバーも、それぞれの使命の場で奮闘を重ねている。

◾️ 順調な時こそ油断大敵
順調なときこそ、「油断は大敵」である。
日蓮大聖人は、主君の頼を勝ち得て、苦境を脱しつつあった四条金吾に対して、「心に深く用心しなさい」(全1176・新1600、通解)等と、このようなときこそ心を引き締めていくべきだと教えておられる。また、別の門下に対して、「冬は、火事で家が焼亡することが多い」(全1101・新1500、通解)と厳しく注意をうながされている。

◾️ 悩みがあるということは、人生を諦めていないということ。だから誰でも本当は悩んでいるんよ。人に言えないだけ。
相手に幸せになってもらいたいと決めたら、相手の目を見て、話をじっと聞くの。仕事のこと、家族のこと、お金のこと......。何に悩んでいるんだろうって。押しては引いて、時には日を改めて。一瞬一瞬が真剣勝負。相手がちょっと体を引いたり、目の色が変わった時に “これやな”って。そしたら真心込めて話していく。
人を折伏しようと思うたら、こちらが題目あげんと。自分との戦い。自分に向き合わんと、思いは届かんよ。

◾️ 折伏は、御書に仰せ通りの如説修行であり、“難事中の難事”である。(中略)
たとえ、思うような結果が出なくとも、く
よくよする必要は全くない。
私も同じであった。どうすれば思いが伝わるのか、相手の心に届くのかーーその繰り返しだった。
誠意を尽くして書いた友への手紙が、全部、送り返されてきたこともあった。唇を噛んだ悔しさ、悲しさも、今は懐かしい。
「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ
他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべ
き」(全467・新519)との仰せは、人生の年輪とともに深く強く拝される。
祈って動いた一日一日は、もがくような昔藤でさえも、すべて自分自身を鍛える、
の生命錬磨である。胸中に燦然と輝くの土台”となる。

◾️創価の黄金柱に贈る~池田先生の言葉~
 誰もが自身の内に仏という無限の力を秘めている。その力を顕現させるのが、妙法です。
 
 妙法の信心は、困難に立ち向かう勇気や、智慧や忍耐力をもたらす本源の力です。
 
 ゆえに、信心を根本とした私たちの行動は、全て妙法の光明に照らされ、希望と幸福の方向へと価値創造していけるのです。
 
 どんな職場、どんな立場であっても、自分らしく、人のため、社会のために行動していく。そして、「あの人はさわやかだ」「あの人は信頼できる」「あの人は頼りになる」と賞讃されていく。これでこそ、「信心即生活」「仏法即社会」の姿です。
 
 (「大白蓮華」2015年12月号、「世界を照らす太陽の仏法」39ページ)
 
     ◇ 
 
 現実は厳しい。一番いけないのは無責任です。「御本尊を拝んでいるから、なんとかなるだろう」というのは信心利用です。
 
 祈ったならば、全力をあげて、全身全霊で、それを実現していくために戦うのが、まことの信心です。
 
 社会で勝ち、「実証」を示してこそ、一家の勝利もあるし、広布の伸展もある。不可能を可能にする信心で、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に」(全1132・新1539)祈って、祈って、勝つのです。
 
 (『池田大作全集』第31巻、「法華経の智慧」484ページ)

■の言葉を抱き締めてきたことだけは、自信を持って言える。

 「1度は負けても、次に勝てばいい。今日負けても、明日勝てばいい。100戦して99回負けたとしても、最後に勝てば勝利なのです」

 師匠がいたから、最後の勝利を信じることができた。その信念のまま絵筆を走らせた。

■池田先生の言葉
 人生は、最後の最後まで、
 何事かをなすためにある。
 人生を自己の信ずるものに
 賭けて戦いぬいた人、
 信念に殉じた人生ほど、
 尊いものはないのです。
 高齢になって、自分の人生に
 満足のいくものがあるかどうかは、
 自身の胸中に刻印されている。
 他人が決めるのではない。
  
 広宣流布のためにとの誠実な「心」は、
 誰が賞讃しなくても
 必ず御本仏がすべて御照覧です。
 一切が偉大なる功徳、福運となって
 自身を荘厳していきます。
 皆さんが長年にわたって
 地道に築いてきた「心の財」は、
 決して壊れることはありません。
  
 学会の歴史は、無名の庶民が
 切り開いてきた歴史である。
 皆さまこそ「民衆の英雄」である。
 私は、一緒に
 広宣流布に戦ってくださった同志を
 絶対に忘れない。
 生命の波動はつながっている。
 生命の絆は三世永遠なのである。
  
 時代を開き、動かすものは、
 権力でも権威でもない。
 民衆の力であり、人間の力である。
 仏法を根本に、世界の平和と
 全人類の崩れざる幸福のために
 哲学、慈悲、智慧の力を
 堂々と発揮しながら、
 民衆連帯のうねりを
 さらに広げてまいりたい。
  
 限りある人生。
 同じ生きるならば、
 爽やかに朗らかに生きたい。
 最後の最後まで、
 わが命を燃やしながら、
 大空を荘厳な金と茜の輝きで彩る
 太陽のごとく生き抜きたい。
 ※池田先生の言葉は順に、『池田大作全集』第61巻、『健康の世紀へ 福徳長寿の智慧』、『池田大作全集』第92巻、『希望の明日へ』、『多宝抄』から抜粋

■時代は刻々と動いていく。天候の推移と同じように、晴れのときもあれば曇りのときもある。これからも、あるときは、暴風雨に遭遇するような場合もあるでありましょう。要はそうした変転に一喜一憂することなく、たえず原点を凝視しつつ正常な軌道へと引き戻していく力が、人々に備わっているかどうかであります。それは、生命のバネ、バイタリティーであるといってよく、そうした本源的な力を、民衆一人ひとりの心田に植えつけていくところにこそ、宗教のもっとも根本的な使命がある。
 創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力をもって人間の尊厳を犯しつづける“力”に対する、内なる生命の深みより発する“精神”の戦いであると位置づけておきたい。(中略)
 偉大な仕事をするには時間がかかる。人間対人間の触発をとおして、自他の生命をみがきあげるという開拓作業が、一朝一夕に成就しうるものではありません。だからこそ、結果としてもたらされるものは、いかなる風雪にも朽ちることのない金剛不壊なる生命の輝きなのであります。
 もはや未来の時代に対しては、こうした地道な努力しか方法はない。もしこれを冷笑するようでは、その人はいったい人類社会の今後にいかなる方法をもって臨むのかと、私は反問したい。(中略)
 一般に「行き詰まったときは原点に帰れ」といわれますが、人間にとって永遠の原点とは“人間らしさ”“人間の尊厳性とは何か”ということ以外にはありえない。その意味から私は、人間を表とした民衆中心主義こそ、きたるべき世紀への道標でなくてはならないと考えている一人であります。私どもは、その視点から、誰人とも話し合っていきたい。
    ◇ 
 一致点を見いだすことも有意義であり、不一致点を見いだすこともまた有意義であります。ともかく、思慮深い判断と先見性が要求される時代にあって、徹底して人類の根本的な原点に立った対話を進めていきたいものであります。
 (『新版 池田会長全集』第1巻)

■池田先生が「民衆が賢明になり、政治を鋭く監視していってこそ、民主主義は発展していく」と言われたように、民主主義といっても、その担い手である私たちの自覚と責任が肝要になります。その意味で、仏法を基調とした「生命尊厳」の哲理を学び合い、自発的に社会に平和の連帯を広げる創価学会の社会運動は、民主主義の根幹を築く営みといえます。
 多くの課題が山積する現代だからこそ、公明党は、どこまでも民衆の側に立ちながら、粘り強く政治を進めていってほしいと思っています。
  

■病気や事故、災害などで若くして亡くなられた方もいます。大聖人は、夫を亡くし、幼子を抱えた女性に、「いきておわしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり」(新1832・全1504)との励ましを送られていますね。



大聖人は、妙法を持たずに亡くなった父を心配する浄蓮房に対し、「浄蓮上人の法華経を持ち給う御功徳は慈父の御力なり」(新2021・全1434)と仰せです。故人の信仰の有無にかかわらず、太陽の仏法を実践する私たちの題目は、一家・一族を幸福の陽光で照らしていくのです。

■『大白蓮華』(一九七〇年一月号)に掲載された、彼の「七〇年代へ勇躍前進」の詩である。
 …………
 私は断じて たじろぐまい
 堅忍不抜の 剛勇をもって
 煉獄の 黒い雨のなかに跳び入ろう
 陸続とつづけ! 使命の徒よ
 混沌と 破壊の 真っ只中に
 創造の躍動を 切りひらきゆくのだ

■「喜び進んで『勇気の挑戦王』として、『忍耐の努力王』として、わが青春を深く大きく勝ち飾っていってください」

■“忍耐”って、単なる我慢じゃないですね。夢に向けた挑戦の中で、喜んで壁を破っていくことが、先生の心に応えることかなって思います」

■ 恵まれた環境の方がいいと思っていた。でも、そうじゃなかった。
 
 「根を育てることが、とくに若い植物には必要なんです。水をたくさん蓄えられる大きな鉢だと、簡単に水分が得られるので根が育ちません。今は、すぐに乾いていく小さめの鉢がいい。根が水を求めて、伸びよう伸びようとして、育っていくんです」
 
 これは、友人にもらった観葉植物を育てるため札幌の種苗店で受けたアドバイス。意外だった。なるほどとも思った。ふと、ルソーの『エミール』の言葉を思い出した。
 
 「子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」(今野一雄訳、岩波文庫)
 
 逆境があってこそ根は育つ。そして、普段は見えない根が深く張ってこそ、嵐にも揺るがぬ大樹となれる。池田先生は語った。
 
 「青年は、あせって芽を出そうとしてはならない。まずは、人知れぬ暗闇の地中で、自分の根を深く深く、大地とひとつになるまで張りめぐらさねばならない」
 
 さあ青年三代城総会。陰で苦闘している君よ。誰が見ていなくても、心の中の師が、あなたをじっと見ている。根を張れ。伸びよ。大樹となれ。



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