聖教新聞の抜粋2



■世界の混迷がいかに深まろうとも、創価の青年一人一人が“地涌の光明”となって時代変革の行動を続ける限り、晴らすことのできない闇など、決してないはずです」(「青年不戦サミット」へのメッセージ 2022年9月4日)



■我らの「敢闘精神」とは、何ものをも恐れぬ師子王の心である。
 人間は、誰しも未知の領域に足を踏み入れることに躊躇するものだ。「もう限界だ」「もうこれでいい」と感じる地点がある。
 だが、そこで逡巡しては何も生まれない。
 恐れるな! 臆病の壁を破れ! 限界かと思う壁に突き当たった時が、本当の勝負だ。そこに、赫々たる勝利が待っている。
 師子王の生命には、さらに創価の師弟には、絶対に行き詰まりはないのだ。また、あってはならないのだ。
 「敢闘」とは、「敢えて闘う」と書く。「敢えて」挑戦するのだ。「敢えて」一歩を踏み出すのだ。
 そこに、豁然として、大平野の如く自分の境涯が広がっていくことを忘れまい。
 三世の生命を、勝利と栄光で飾りゆく、わが大関東の同志たちよ、さらに愉快に、一歩前進して、大いなる完勝の歌を、栄光の歌を、歌いゆこうではないか

■一生にわたる信仰ですから、皆さんの行動の一切が功徳になり福運になるんだと信じて明るく信心をしていっていただきたい」

■信仰は形式でなくして真の信仰の『一心』『一念』が大事なのである

■戦う相手は自分
 単独の航海は、常に危険と隣り合わせだ。堀江氏は失敗も経験してきた。その経験が財産となり、航海を重ねるごとに、たいていの不測の事態に落ち着いて対処できるようになった。困難に遭遇すると、「自分なら乗り越えられる」との自信がふつふつと湧き上がるという。
  
 「人間は、誰もが恐怖を感じるものです。でも、人間は自分の恐怖を克服したいとも思っているものです。
 結局、人間にとって一番やっかいなのは、自分自身です。まず、戦う相手は自分です。何かの困難にぶつかったら、この先にはもっと大変な困難があるに違いないと想像して尻込みしてしまう。自分がつくり出した世界に押しつぶされて、自分で自分の可能性を閉ざしてしまう」
 「私は困難に遭った時、これまでたくさんの試練を乗り越えてきたのだから、今回も乗り越えていけると考えています。良い方向に心を向けていく。それで乗り越えてきました」
 「挑戦し、行動し続けることで、新しい力が生まれてきます」

■幸福は、決して遠くにあるものではない。また幸福は外見ではない。幸福は地位でもない。幸福とは、自分自身の「一念」にある。「一念」で決まっていく。その一念とは妙法の「信心」である。
 (1990年7月8日、第3回北海道総会)




■2000年の2月、池田先生は75回目の兵庫指導へ。同26日、兵庫区の兵庫平和会館の建設予定地を視察。29日には、長田文化会館を初訪問した。長田区は、阪神・淡路大震災で最も被害の大きかった地域の一つであり、同会館には震災当日から、被災した人々が多く避難した。

 先生が到着したのは、午後3時半ごろ。婦人部(当時)の友が、関西での諸行事の大成功を祈念しようと集まっていた。兵庫総会などで連日にわたって励ましを送り続ける先生が、友の祈りに引き寄せられるように、会館を訪れたのである。

 突然の来訪に驚き、歓喜する友。先生は「せめてもの皆さまへの励ましになれば」とピアノへ向かう。

 「湊川はどっち?」――近くを流れる川の方向を確かめ、“大楠公”を2度奏でた。

 この曲は、湊川の戦いに赴く南北朝時代の武将・楠木正成と、後継を誓う子・正行の心情をうたったもの。戸田城聖先生がこよなく愛し、若き池田先生が広布の激戦に勝ちゆく決意を込めて、幾度も恩師の前で歌った“師弟の歌”だ。

 “友よ、断じて負けるな!”との願いを乗せた、励ましの調べが強く優しく響く。

 先生は、長田区をはじめ、兵庫区、北区などから駆け付けた同志と一緒に、震災の犠牲者への追善の勤行を行った。「まだまだ、これからが大変でしょう。私も応援を続けます。一生涯、お題目を送ります」と。

 そして語った。

 「人生は戦いです。幸福になるための戦いです」

 「妙法を唱える人は、いかなる苦難も災難をも、悠々と乗り切っていける力を出して、何ものにも負けない毅然たる自分自身を築くことができる」

 大震災の前も後も、一貫して、信心根本の人生勝利の軌道を示し続けた池田先生。その心に呼応して、友は、見事な三変土田の実証をつづってきた。



■民主主義の詩人、国民の詩人、人間と宇宙を謳った詩人――ホイットマン。わが人生を謳い、人間と生活をほめ讃えて生きる人は幸福である。愚痴は自分も他人をも不幸にする。頭をあげて、人生を「謳い」、希望を「歌う」心豊かな青春であっていただきたい。



■呼応した友は、先生から教わった一首を口ずさみながら地域を歩いた。
 
 「まだ聞かぬ 人のためには ほととぎす 幾度鳴くとも 初音なりけり」――ほととぎすはよく鳴くが、聞いたことがない人にとっては初めて聞く音である。先生は“何度も繰り返し語る”ことの大切さを伝えたのだ。

■池田先生は語りました。
 「信心とは『勇気』です。難が来ようと、諸天が動くまいと、どんな苦難に直面しても、絶対にこの信仰だけは貫いてみせる、という『勇気』こそが、幸福の直道です」
 何があろうと信心を貫く。どこまでも師と共に前進してみせる――。そう不屈の誓いを燃え上がらせ、創価の師弟に連なって、師子王の心で戦い抜く中で、福徳あふれる大境涯を必ず勝ち開いていけるのです。

■池田先生の言葉
 信心の炎は、
 自分のことだけで汲々とした
 小さな境涯を打ち破る。
 友の勝利が、わが勝利であり、
 わが勝利が友の勝利である。
 どこそこで、あの友が苦しんでいる。
 かの地域で仲間が奮闘している。
 そう聞けば、わが事のように祈る!
 自他共の完勝のため、
 そこへ駆けつけ、共に戦う!
 この熱烈な同志愛があればこそ、
 あらゆる大難を乗り越え、
 学会は勝利し、また勝利してきたのだ。
  
 状況が厳しければ、その時にこそ、
 勇気を奮い起こすべきである。
 厳しければ厳しいほど勇み立つ。
 ここに、学会精神の真髄がある。
 いちばん大変な所に、
 みずから足を運んでこそ、
 「道」は開かれる。
  
 通途の仏教では、「億劫」という
 長遠の修行を積み重ねて、
 初めて成仏できると説かれる。
 しかし日蓮仏法では、
 妙法を信受し、立正安国のため、
 すなわち人びとを幸福にし、
 社会を安穏にするために、
 苦難を恐れず勇猛精進することが、
 既に“億劫の辛労を尽くす”修行を
 行じているのである。
 ゆえに、その一念には、本来、
 わが生命に具わる仏の偉大な力が
 沸々と湧き上がってくるのだ。
  
 戦いには、遠慮があってはならない。
 好き嫌いで人を見たら、戦いはできない。
 「断じて勝つ」という一点に立ち、
 同じ目的に向かって呼吸を合わせ、
 心を一致させるのだ。
 勝つために祈りを!
 勝つために団結を!
 痛快なる勝利のドラマを、
 きょうから一緒に、楽しく、
 堂々と開始しようではないか!




■「人を救い、人を幸福にしていく作業に励んでいくなかにこそ、人間としての最大の輝きがある」――山本伸一は、広布に生きる人生がいかに偉大であるかを訴えている

■「他者に尽くし、人間革命の実践に挑めば、乗り越えられない宿命などありません。仕事もNPOの活動も、仏の智慧を湧き上がらせながら、使命の人生を生き抜いていきます



■「混迷の社会にあっては、信心以外に真実の幸せを獲得する道はない。真面目な信心、地道な学会活動に励み、充実した人生を送ってほしい」

■望さんは語る。「悩んだときにも、夫婦で祈りを重ねると“必ず勝つ”と心が定まっていきます。これからも大好きな三笠の地で夫と共に信心を磨いていきます」

■■勇気
 【御文】各々、師子王の心を取り出だして、いかに人おどすともおずることなかれ。(新1620・全1190)
 【通解】おのおのは師子王の心を取り出して、どのように人が脅しても、決して恐れることがあってはならない。
 【池田先生の指針】「師子王の心」とは、何があっても負けない「勇気の心」です。何があっても向上しようとする「希望の心」です。(中略)どんなときも「前へ前へ」と、明るく朗らかに進んでいってください。勝利は、前にあるからであります。〈2006年、少年少女合唱団の入卒団式へのメッセージ〉
 

■■平和
 【御文】汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を禱るべきものか。(新44・全31)
 【通解】自身の安心を考えるなら、あなたはまず社会全体の静穏を祈ることが必要ではないのか。
 【池田先生の指針】一人ひとりの「いのち」を大切にする社会をつくるため、私たちは題目を唱え、世界の平和を祈っているのです。(中略)世界の平和と全人類の幸福を実現する「未来の広宣流布」も、みなさんが、よく学び、よく祈り、よく生き、良き友をつくって広げていくなかにあります。〈『希望の大空へ』〉

■■後継
 【御文】伝持の人無ければ、なお木石の衣鉢を帯持せるがごとし。(新610・全508)
 【通解】(経典があっても)仏法を持ち、伝えていく人がいないので、それはちょうど木像や石像が法衣を着て、(托鉢で用いる)鉢を持っているようなもので、何の役にも立っていない。
 【池田先生の指針】未来部員は後世に何を「持ち」、何を「伝えて」いくのか。視点を変えれば、私たちは未来からの使者たちに何を「持たせ」、何を「伝えて」いくべきか。
 それは、一家における「信心」であり、創価学会の正しき「信仰」です。(中略)「伝持の人」とは、人間革命の後継者にほかならないのです。〈『わが「共戦の友」――各部の皆さんに贈る』〉

■―親のアドバイスに耳を傾けないと、何だか親不孝をしているように感じてしまうという人もいるのではないでしょうか。
 自分も親として気をつけなければいけないと肝に銘じていますが、親が自分の考えや忠告を子どもに聞かせようとするのは、親のコントロール欲求や支配欲の表れでもあるんです。親子であっても別の人間であるわけですから、親のアドバイスを必ずしもかなえてあげる必要はないんです。

 そもそも親不孝というのは、親の言うことを聞かないことではなく、親から見て子どもが不幸せに見えてしまうことです。ですから、たとえ親の言うことを聞かなくとも子どもが幸せそうにしていれば、それは決して親不孝ではなく、むしろ親にとっては喜ばしいことになるはずです




■池田先生はつづっている。
 「大試練に打ち勝ってこそ、大功徳に浴し、崩れざる幸福の基盤を築くことができる」

■「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」(新1061・全761)と御書にある。
 「目の前の身近な一人を喜ばせたいと一生懸命考えることが、結果的に多くの人に届くことになるのです」



 50年8月24日、戸田先生は事業の影響が創価学会に及ばないよう、学会の理事長を辞任する意向を発表した。池田先生は戸田先生に尋ねる。「先生が理事長を辞められると、これから、私の師匠は誰になるのでしょうか」
  
 戸田先生は答える。「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
  
 後日、池田先生は決意を和歌に託す。
 「古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ」
  
 戸田先生は二つの返歌を贈った。
 「幾度か 戦の庭に 起てる身の 捨てず持つは 君の太刀ぞよ」
 「色は褪せ 力は抜けし 吾が王者 死すとも残すは 君が冠」
  
 戸田先生のことを罵倒し、去っていく人間もいた。そうした絶体絶命の状況にあっても、池田先生は戸田先生を支え続けた。いつ冬が来て、いつ春が訪れたのかさえも判然としない苦闘の日々の中で、池田先生は記している。「未来、生涯、いかなる苦難が打ち続くとも、此の師に学んだ栄誉を、私は最高、最大の、幸福とする」(『若き日の日記』)
  
 最も苦しかったこの年、戸田先生と池田先生は聖教新聞の創刊や大学の設立の構想を語り合った。池田先生は次のようにつづっている。「この期間の秘史のなかに、その後の創価学会の、発展と存在との根本的な要因があったといえよう」(小説『人間革命』第4巻「秋霜」の章)



■この人生
  広布に走りし
 決勝と
  君よ勇みて
   歴史残せや

■学歴や地位ではない。信心根本に、人々に尽くしゆく人こそが本物の指導者である――先生の眼は、どこまでも庶民に向けられていた。

■「いかなる苦難があっても、その時は苦しい、つらい思いをするかもしれないが、必ず、因果俱時で根本的には願いが叶っていく。ゆえに、苦しみに負け、弱気になってはいけない。勇猛精進の心で前に進みゆくことだ」

■先生は、こうも語っている。
 
 「たゆみなき前進の息吹――これが『勇猛精進』である。『勇猛』の『勇』は、『勇気』。『猛』は『智慧の限りを尽くすこと』。『精進』の『精』は、『無雑』。純粋で、一点の混じりけもないことである。『進』は、『間断なく進むこと』である。
 
 勇猛精進が、“常勝の人間”をつくる。わが身を“常勝の生命”へと鍛え上げていく」

■「御本尊の力は絶対です。万人が幸福になるための仏法なんです!」

■諸天善神のはたらきは、全ての人に同じく現れるわけではありません。大聖人は「諸天善神の守護といっても、人の心が強いことによるということである」(新1608・全1186、通解)と仰せです。諸天善神の守護の力は、信仰を持つ人の信心の厚薄によって決まるのです。
 池田先生は「“いかなる苦難があろうとも、断じて負けない。絶対に勝利してみせる”――この決定した『一念』から湧き上がる祈りと実践に、諸天善神は感応し、人々を厳として守る働きとして現れる」とつづっています。周囲の人々や環境にそなわる善のはたらきを呼び起こせるかどうかは、全て現在のわが一念にかかっているのです。

■   
 大事なことは「あの人がいるから、もっと勉強しよう」なのか。それとも「勉強よりも、あの人」なのか。
   
 「あの人がいるから、もっとクラブ活動に挑戦しよう」「あの人がいるから、もっと友だちや親を大切にしよう」「あの人がいるから、未来の目標に向かって、もっと頑張ろう」なのか。それとも「クラブ活動よりも、あの人」「友だちや親よりも、あの人」「未来の目標よりも、あの人」なのか。
   
 今、自分たちは何をすべきか、その目的を忘れての付き合いは邪道です。目的を達成させようという励まし、希望をもちあっていくことが大切です。恋愛は、感動し、元気になり、希望を生み、生きぬく源泉とならなくてはいけない。
――『青春対話1』普及版

■◇◆
   
 勝てば、コンプレックスは、あなたが強く生きていく力となる。すべてのコンプレックスが、あなたの力となる。コンプレックスで悩んだ分だけ、いじめられた分だけ、心のヒダは深くなる。心の響きも豊かになり、「人の心がわかる」人間になれる。コンプレックスに苦しまなかった人は、繊細な心のメロディーがわからない。
――『希望対話』

■ 優しさとは、損・得を度外視した友情です。
   
 人が苦しんでいれば、苦しんでいるほど、その人に愛情を持つ。「立ち上がらせてあげよう」という勇気の心を与える。
   
 人の不幸を、不幸として見つめつつ、苦しみをわかろうとする。分かちあおうとする。そのなかで、自分も成長していく。相手も強くなっていく。優しさとは、よい意味での“励ましの道場”です。
   
 大切なことは、相手に同情する――あわれむ――ということではなくて、「わかってあげる」ということです。「理解」することです。人間は、自分のことを「わかってくれている人がいる」、それだけで生きる力がわいてくるものです。
――『青春対話1』普及版



■いかなることありとも、すこしもたゆむことなかれ。いよいよはりあげてせむべし」(新1484・全1090)の御文を拝し、これが学会魂の真髄であると強調。かつて池田先生が示した「勇気」「忍耐」「団結」の勝利の要諦を確認し、他の誰でもなく、「私自身」の祈りと行動で、報恩と栄光の11月を荘厳しようと訴えた。

■今年5月、池田先生の写真展を見るために、家族全員で神奈川池田記念講堂へ。帰り際、長男と一緒にもらった記念カードに、師の言葉がつづられていた。
 「二度とない人生。だれに遠慮がいるものか。花と咲け。花よ咲け。心に咲け。暮らしに咲け。大きく咲け」






■信心を続けている人は、まことの大聖人の弟子となります。その人が病気になろうが、悩みがあろうが、本有常住にしてすでに仏界を涌現した人になり、本有の妙法に照らされた人になります

■師匠の智慧と慈悲に弟子たちが到底、及ばないと思っても、師匠と『同じ誓願』『同じ理想』『同じ行動』を貫くならば、必ず師匠と同じ境涯に達することができる


■「浅きを去って深きに就
くは、丈夫の心」御書。
広布の人生こそ最高最善
(新612・全509)

■彼は、「開目抄」の一節を拝し始めた。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書二三四ページ)
 この御文を、初めて耳にした人もいた。詳細な意味はわからなくとも、難が競い起こることを述べられた御文であることは、誰にもわかった。
 伸一は、強い力を込めて語った。
 「この御文を、本当に身で拝することができれば、仏法の真髄を実践したことになります。
 これを、皆様方は、これからの、また、生涯の指針としていただきたい。その人こそが、日蓮大聖人の本当の弟子であります」
 彼は、この御文を講義していった。
 「『我並びに我が弟子』──ここには師弟不二の大精神があります。大聖人とともに、師と同じ決意で、広宣流布に邁進する人こそが、真実の弟子です。
 信心は、立場や肩書とは関係ありません。すべては自分の『志』で決まります。そして、師とともに前進していく師弟不二の実践のなかに、一生成仏の道があるんです」

◾️ 一、私が敬愛してやまぬ友人で、ジャズ界の巨匠と輝くウェイン・ショーターさんと語り合った言葉を、「負けじ魂」光る学園生に伝えたい。すなわち、「失敗は終わりではない」「それは、次の勝利の始まりである」と。そして、卒業生一人一人の偉大な希望の未来を心に描きつつ、一首を贈ります。
黄金の生命の絆の
君と我
勇気の行進
勝利の舞

◾️ 人生を決めるのは環境や他人ではない。
全ては自身の一念だ。
強盛な大信力で
無限の力を引き出そう!

◾️ 結びに、卒業生の皆さまに、ガンジーの英知を踏まえて、三つの言葉を贈ります。
一つ目は、「世界を変えるためには、まず自分自身が変わらなければいけない」。
言い換えれば、自分が変われば必ず世界を変えられるということです。
二つ目は、「歴史を見れば真実と愛は常に勝利を収める」。
そして三つ目は、「敵と相対する時、その敵を愛で征服すれば、必ず平和を勝ち取れる」です。

◾️ 君たちの前途には、暗夜の日もあろう。茨の道もあろう。
しかし、断じて退いてはならない。苦しい時こそ、一歩を踏み出せ。その一歩が勝利の道を開くからである。希望とは、自分でつくるものだ。希望とは、茨の道を切り開きながら、あとに続く人々に贈りゆくものだ。ここに、魯迅先生がわが身をもって示した「希望の哲学」がある。

◾️ 海舟は述べた。「後世の歴史が、狂といおうが、賊といおうが、そんなことはかまうものか。ようするに、処世の秘訣は誠の一字だ」(『氷川清話』第三文明社)。海舟の開かれた心の根底には、飾らず、奇をてらわず、信念をありのままに相手にぶつける「誠」の一字があった!池田先生は「人の心を動かすのは、真剣にして誠実な対話である。燃えるような情熱に触れた時、人の心もまた燃え上がる」

◾️ 今も背中を押してくれる池田先生の言葉がある。
「今、どんなに苦しくても、決して負けてはいけない。幸福と栄光の人生へと、劇的に転換できるのが信
心だ」

◾️ 今世で最後の勤行だという思いで祈っている」と口癖のように語り、90歳まで生き抜いた。
父から教わったことが二つあるー。一つ目は、“祈りに確を込める”こと。二つ目は“真剣勝負の毎日が、悔いなき人生を築く”ということだ。
がんと宜告された赤崎さんは誓った。“次は私が、信心の偉大さを皆に伝える番だ”
同年8月、治療法を決めるため東京の病院に入院した。一人になると不安にのみ込まれそうになった。寝つけない夜は、胸中で題目を唱え続けた。
ある日、ふと窓の外を見ると雲一つない空が広がっていた。真夏の太陽のもと、突き抜けるように青く澄み渡る。
“今、池田先生と同じ空を眺めているんだ!私はなんて幸せ者なのだろう......”
涙が頬を伝う。喜びなのか、感動なのかは分からない。ただ、とめどなくあふれた。

病室で読んだの言葉が心に染みる。
「太陽が昇れば、無数の星の光が直ちに消え去るように、自身の生命に仏界の太陽を昇らせることによって、いかなる宿業の報いも全て消し去ることができるのです」
“必ず生き抜くんだ”。心の底から生命力が湧き上がった。
入院から2週間。がん患者100人のうち3~5人程度に当てはまる、「ALK融合遺伝子陽性」の非小細胞がんと判明した。医師は「薬を服用すれば効果が期待できるかもしれません」と言った。
入院治療から1カ月後に退院し、地元で治療に専念することに。この頃から手紙を書くようになった。以前に比べ体力がなくなり、動くとすぐに息が切れるようになった。「それでも、仏法の素晴らしさを語り続けるとの決意だけは、病魔に奪わせるつもりはありませんでした」
がんとの闘いは一進一退だった。退院から半年後には薬の副作用で「間質性肺炎」を発症した。以後、入退院を繰り返し13回の抗がん剤治療を行った。

◾️ 池田先生は語る。「『さあ、また福徳を開こう。永遠の幸福の境涯をつくろう」と戦っていく。その永遠の向上、永遠の闘争の決心に、仏法の精神が脈動している」と。この決心が現状打破の大きな力となる。(城)

◾️ しかし、母が教えてくれた “何があっても、この一心で乗り越えていける”との確を赤々と燃やし、再就職を目指して、学会活動にも全力で挑戦した。
真剣に題目を唱え、同志の激励や友人との対話に奔走。姉の舞さんも共に祈り、応援してくれた。
“使命の職場に”と努力と挑戦を重ねること2カ月。
希望通りの職場に再就職を果たすことができた。
2人が常に心に刻むのは「一番苦しんだ人が、一番幸せになる権利がある」との池田先生の言葉だ。
「悩んだり、つらい経験をしたりした分、人の気持ちに寄り添い、心から励ませるのだと感じます。周囲に希望を送る太陽のような存在になりたい。母のように、この信心で幸福な人生を開いていきたい」

◾️ 悩んだ分だけ大きく成長できる。
苦難は自身を鍛える最高の宝だ。
負けじ魂で進もう!

◾️ 勇気の指標
: 『御書と青年』から
「諸法実相抄」では、「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(全1360・新1791)と言われています。題目を唱えられるということ、それ自体が、いかに深い宿縁であるか。
大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」
(同)とも仰せです。広宜流布に生き、題目を唱えゆく青年は、皆、最も尊極な地涌の菩薩なのです。
地涌の菩薩は、最も大変な時に、最も大変な場所に勇み立って出現する。
今、直面している困難は、信心の眼で見れば、自ら願った使命です。そう確信して前進することが、「誓願の祈り」の証しです。(中略) 自分だけでない。人の幸福を祈る中で、自分の悩みを悠々と見下ろせる境涯が開かれていくのです。
自らの悩みを抱えながら、それに押しつぶされない。「難来るを以て安楽」(全750・新1045)と、広宜流布のため真剣に祈り、勇敢に学会活動に打って出る。広布の祈りは、仏・菩薩の祈りです。

自分の勝利が、広宣流布の実証になる。広宣流布を進める創価学会の大発展を強盛に祈っている人は、どんなことにも負けない自分自身になる。王者のような境涯を必ず開けるのです。
地涌の使命に目覚めることは、自身の生命の本源を知ることだ。なぜ生まれてきたのか。なぜ生きゆくのか。その究極の意義を知ることです。自分の永遠の使命に目覚める以上の歓喜はない。これほどの充実はない。これに勝る誇りはありません。

◾️ 書に「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば、千万両の金にもすぎたり」(新1308・全986)とある。この文を拝し、池田先生がつづった言葉が原動力だ。
「『一日』が宝である。いな、『一瞬一瞬」が、かけがえのない宝なのだ。今、一時間があれば、どんなに多くの友を励ませるだろうか。遺言の思いでスピーチも残せる。今、三十分があれば、どれだけ有意義な語らいができるだろうか。この五分があれば、必死のあの同志、この同志に揮毫を残してあげられる。この一分があれば、苦闘のあの友に伝言を託すことができる。この一秒があれば、目であいさつできる。だから、私は決めたのだ!意義ある一日一日を生きるのだ!『今』を生き抜き、断じて勝つのだ!」

◾️ 楽観主義で生きよう」
【一月十二日】
心の置き方ひとつで決まる。「楽観主義で生きよう」と決めれば、逆境も苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる。
心の窓を大きく開いて、希望の青空を仰いで生きることだ。「明日はきっと、よくなる!」ーーと。(21
ページ)
永遠に続く冬はない!
【二月四日】
苦しい時は、この闇が永遠に続くような気がするものです。しかし、そうではない。冬はいつか必ず春になります。永遠に続く冬はない。
誰よりも苦しんだあなたが、誰よりも人の心がわかるあなたなのです。誰よりもつらい思いをしたあな↑
PAGE
は、誰よりも人の優しさに敏感なあなたのはずで?TOP
(45ページ)

思いやる心は自分から
【三月十日】
人を思いやる心は、相手によって生まれてくるものではなく、まず、自分の心の中に築き上げるものであ
る。
鏡に向かってお辞儀をすれば、鏡の自分もお辞儀をするごとく、自分自身の心が、相手の心を呼び醒ましていくのだ。(81ページ)
踏まれても踏まれても
【四月二十六日】
タンポポは、なぜ、踏まれても、踏まれても、負けないのだろうか。強さの秘密は、地中深くに伸ばした根っこだ。長いものだと、地下ーメートル以上にもなるという。
人間も同じであろう。悪戦苦闘を耐え抜き、自身の人生の根っこを、何ものにも揺るがぬ深さまで張った人が、まことの勝利者だ。(129ページ)


全てを変える大地の力
【五月三日】
母の力は大地の力である。
大地が、草木を茂らせ、花を咲かせ、果実を実らせるように、母は、いっさいを育む創造と教育の大地である。その大地が、ひとたび動けば、すべては変わ
る。
母が家庭を変える。
母が地域を変える。
母が社会を変える。
母が時代を変える。
そして、母が世界を平和へと変えていくのだ!(138
ページ)

立ち上がればいい
【七月五日】
誰しも転ぶことはある。転んだら、また立ち上がればいい。
立ち上がって、まっすぐ前を向いて進んでいくこと
だ。
青春に、取り返しのつかない失敗などないのだから!(204ページ)
病気さえも糧とできる
【八月三十日】
「病気になって、初めて人生について深く考え始めた」という人は少なくない。病気になって、改めて家族の大切さ、愛情の大切さに目覚めることも多い。
病気さえも人生を豊かに彩る糧としていくことができる。(261ページ)

「ありがとう」と声かけて
【九月二十八日】
「ありがとう」は奇跡の言葉である。
口に出せば、元気が出る。耳に入れば、勇気がわく。(291ページ)
どんな時も太陽は輝く
【十月十二日】
何があっても、「私は太陽なんだ!」と悠然と生きることだ。
もちろん、曇りの日もある。しかし、曇っていても、太陽はその厚い雲の上で変わらずに輝いている。
苦しい時も、心の輝きを失ってはならない。(307ペー
ジ)

あなたは素晴らしい人
【十二月七日】
いちばん大事なことは、どんな場合でも「自分なんか、ダメだ」と思わないこと。自分をいじめないこと。自分で自分を励ますことです。落ち込んでしまった自分の心を、自分で「よいしょ」ともちあげることです。
あなたは素晴らしい人なんだから、そんな素晴らしい自分をいじめてはいけない。人が何とけなそうが、関係ない。(366ページ)

◾️ 蔵の財よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり。この文を覧あらんよりは、心の財をつませ給うべし。(新1596・全1173)
現代語訳1
【現代語訳】「蔵の財」(=物質的な財産)よりも
「身の財」(=立場や健康・身につけた技能など)が優れている。「身の財」よりも「心の財」(=心の強さや豊かさ、境涯)が第一である。この手紙をご覧になってからは、「心の財」を積んでいきなさい。


◾️ 祈りとは、負けじ魂です。
祈りとは、無限の希望です。
祈りとは、絶対の安心です。
祈りとは、不屈の前進です。
祈れることが最大の幸福であり、人間としての最高の尊厳なのです」ーー池田先生は、こうつづっています。
多くの同志が、この文の一節を胸に刻み、唱題に励み、人生の荒波を勝ち越えてきました。
本抄を頂いた四条金は当時、主君の江間氏を折伏したことで不興を買い、反感を抱いていた同僚からの讒言も加わって、苦境のただ中にありました。その金吾に対して、「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし」(新1554・全1143)等と、人生の真髄を教えられているのが本です。
「自受法楽」とは、法楽(法の楽しみ)を自由自在に受けきっていける境涯のことです。苦しみも、喜びも、思い合わせて題目を唱えきっていくーーその生命自体が仏の境涯です。信心を貫く人は誰が何と言おうが、最後は必ず勝利するのです。

◾️■ここでも彼は、「撰時抄」等の御文を拝するとともに、団結の大切さなど、約三十分間にわたって、全力で指導を重ねたのである。
 「決意を固めても、旧習の壁の厚さなどから、ともすれば、『とても広宣流布はできない』と思い込んでしまう。実は、その心こそが最大の“敵”なんです。それに打ち勝って、自分の弱さを破り、油断、惰性を排して、前進していくために、同志のスクラムが大事になるんです……」
■でもほんまに、池田先生の言われた通りにな、題目こそ一切解決の源泉! それを心の底に置いてな、題目をあげてあげて、あげ切ってきました。
 誰が何と言おうと、私は私なりに、御本尊様にぶつかっていこう思うてな。
 題目あげたらな、命がきれいになる。それはもう絶対間違いない。
 信心する前と、明らかに違う。お金はあらへん。でもな、人のために祈るでしょ。だんだん自分の心が豊かになっていくのを実感するんですよ。
 「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」(新1719・全1295)や。社長のうちのお便所の掃除かってな、手つっこんでな、きれいきれいに洗うてな。柱でもな、絹の布で磨くねん。お客さんが来たら、玄関で三つ指ついてな。
 「石田さん、ずっとおってください」言うて、家族同様にな、70歳過ぎまで働かせてもらいましたよ



◾️ 行き詰まったら、まずは
題目をあげることだ。
祈って、
最高の智慧を湧きいだす。
そして行動していく。
乗り越えられない困難など、絶対にない。

◾️ 行くところ向かうところで、一人から一人へ、勝利の一念を燃え立たせ、勇気の波動を起こすのだ。
時代の変化は激しく、苦労も多いだろうが、どこまでも心で団結し、
信心で勝とう。
何事も強気でやり通す
執念が勝負を決する。
一人も残らず、自分に勝ち、社会で勝ち、人生で勝つ
功徳満開の春を迎えよう!

◾️ 生きることは、いつか死ぬこと。どんなに好きなものがあって、どんなに大切な人がいても、最後は「さよなら」しなければならない。
それがいつかは分からないけれど、死ななければいけないということを知っているというのは、それ自体が大きな悲しみ、根源的な苦しみではないでしょう
か。
一人一人、違うけれど、誰もが痛みや悲しみを経験している。「あなたの悲しみは分かる」などと安易には言えませんが、悲しみを自分の前に “小さなともしび”のように置くことで、人の悲しみを照らすことができると思います。

◾️ 思いついたことを形にするときは、地域の方の「喜ぶ顔」が浮かぶかどうかを基準にしています。
具体的に喜んでくれる人の顔が浮かばなかったら、だめかなと思っているんです。喜ぶ顔が浮かぶなら、それはきっと実現できるという確があります。
それは、なぜか。「自分とは何か?」と問いかけると、結局、「他者でできている」と思うからです。親や友人、教師から始まって、何世代にもわたる先祖や、名前も知らない膨大な過去の死者も含めて、一人でも欠けたら今の自分はないじゃないですか。
だから何かをする時に、それが他者の喜びや希望にかなっているかどうかは、いつも気にかけています。

◾️ 言い換えれば、自分は「他者」という「糸」で編まれていて、それをほどいて編み直すことも、さらに編み広げて、今までにない新しい模様を編み出すこともできる。
「糸」に「泉」と書くと「線」になります。自分と他者の間には「線」があって、線は分け隔てるものでもあるんですけど、人と人をつなぎ、生きる道を示すものでもある。そうした線が結び付けられることで湧き起こるのが「泉」のようにも思えます。
そこには生きている人との線だけでなく、「死者」との線もあります。私は、最愛の人を病で亡くす直前、「なんで泣いているの?僕があなたを置いて死ぬはずないじゃない」と言われたことがあります。
その時は、どう受け止めたらよいか分かりませんでしたが、その言葉は本当だったと今は感じます。彼が亡くなっても、その存在はなくなっていない。思いや視線、声は残っている。その人が生きていた響きは消えません。
聴く耳さえあれば響きは聞こえるし、今の自分と共にあるのだと思います。

◾️ その数年後、東日本大震災が起きる。自宅は津波で流失。じがたかったが、わが子と共にきようだい同様に育ってきた、大切なおい、めいの3人が犠牲になった。
「心ん中が空洞になった。張り裂けるものもなかっ
た」
どん底の悲しみの中、本紙に掲載された池田先生のメッセージを何度も読んだ。
「いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と『変毒為薬』できるのが、この仏法であり、信心であります」
凍てつく心の奥から、熱いものが込み上げる。泣けてしょうがなかった。
「負げでらんね」
3月下旬から、休みのたび、避難所で炊き出しを始めた。
「温かいものを食べないと、元気も出ねえと思っ
て」
“今、食べたいものは?”ーーある時、避難所でアンケートを取った。すると「牛タン」「カキ」......。
「郷土の食べ物が、どんだけ必要か、思い知った

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ね」

◾️ 御文
いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け
給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を
儲けんがごとく、強盛に申すなり。
(可責謗法滅罪抄、新1539・全1132)
【通解】どのように世の中が乱れていても、あなた
方のことを「法華経や土羅刹よ、助け給え」と、湿った木から火を出し、乾いた土から水を得ようとする思いで強盛に祈っている。

◾️ 無限の希望 絶対の安心
「祈りとは、負けじ魂です。
祈りとは、無限の希望です。
祈りとは、絶対の安心です。
祈りとは、不屈の前進です。
祈れることが最大の幸福であり、人間としての最高の尊厳なのです」ーー池田先生は、こうつづっています。
多くの同志が、この文の一節を胸に刻み、唱題に励み、人生の荒波を勝ち越えてきました。

◾️ その後、静岡・浜松で行われた男子部、女子部の総会へ。先生は、男子部に対して訴えた。
「今こそ、折伏をしなさい。そして、うんとけなされなさい。その悔しさを本尊に祈り切っていくのです。絶対に幸福になって、学会の正義を宜揚するという “人間革命のくさび”を打っていく時が今です」
先生の烈々たる気迫に触れ、青年たちは、“浜松、そして静岡から勝利の炎を”と立ち上がったのであ
る。
列車、飛行機、船一一あらゆる交通手段を使って、各地を奔走する先生の体は限界に達していた。
「熱っぽい一日」(『若き日の日記』、1958年8月
31日)
「心身共に、無理の連続」(同、同年9月17日)
戸田先生から託された広布の構想を実現するため、激励の歩みを止めるわけにはいかなかった。総務に就任した先生の双肩には、学会の未来がかかっていた。

◾️ 「かなう、かなわんは分からへん」
“絶対かなう!”って励まされると思ってたから、言葉が出なかった。すると先輩は「かなわないことにも意味がある。祈って悩んで、“広宣流布のために”ってまた祈る。その中で、“なんで”と思ったことさえ、自分の人生に必要なことだと感謝できるようになれるよ」と。
全部に納得できたわけじゃないんですけど、「全てに感謝できる」って言える強さを知りたくなった。題目を何倍もあげるようになって、教学も学び始めました。
そこで出あった開目の一節。「ずるところは、
天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん」(新
114・全232)。いまかなっているかどうかより、誓願を貫くのが本当の仏法者なんだと知りました。
いま思えばめっちゃ小さな悩みですけど、先輩の励ましが、広布に腹を決めるきっかけへと変えてくれました。

◾️ 病魔に断じて負けるな!
「一日の命は三千界の
財にもすぎて候なり」
尊き一日を懸命に生きる。
その人こそ人間王者だ!

◾️ 結婚は、自分の意思が最重要であるのは言うまでもないが、若いということは、人生経験も乏しく、未熟な面もあることは否定できない。ゆえに、両親や身近な先輩のアドバイスを受け、周囲の方々から祝福されて結婚することが大切であると申し上げたい。
また、結婚すれば、生涯、苦楽を共にしていくことになる。人生にはいかなる宿命があり、試練が待ち受けているか、わからない。それを二人で乗り越えていくには、互いの愛情はもとより、思想、哲学、なかんずく仰という人生の基盤の上に、一つの共通の目的をもって進んでいくことが重要になる。
二人が共に心をしている場合は、切磋琢磨し、信心、人格を磨き合う関係を築いていた

◾️ 結婚については、決して焦るのではなく、あなた自身が、生涯をともにして悔いがないか、その人を言頼し、愛し合っていけるのかを、冷静に考えて決めるべきです。
たとえば、相手の人柄はどうなのか。生活習慣や言葉の違いを超えて、一緒に暮らしていくことができるか。信条やものの考え方の面でも、夫婦として理解し合えるのか。さらに、息子さんのことや経済的な問題などを熟慮し、この人となら何があっても頑張っていける、と思えれば決断すればよいでしょう。
また、息子さんとは、会えなかったら手紙でもよいから、率直に話し合ってみることです。息子さんも十七歳になれば、考えようによれば、立派な大人です。
お母さんの気持ちも、十分に察することができる年代です。

ただ、一つ大切なことは、結婚すれば幸福になれると考えるのは誤りです。確かに、結婚によって、一時は幸せであると感じるかもしれない。しかし、長い人生には、何があるかわかりません。結婚したことによって、辛い、苦しい思いをしなければならないケースもあります。結婚生活を幸せなものにしていくかどうかは、その後の夫婦の努力次第です。
また、結婚し、環境が変わったからといって、自分の宿命が変わるわけではありません

◾️ 池田先生は「大事なのは行動だ。何もしなければ、何も変わらない。祈り、そして一歩を踏み出して、行動を起こしていくところから、すべてが始まる。智慧が生まれ、諸天が動く。状況も好転していくのである」と語っています。
広布の “急所”に直面した時こそ、勝利へ、喜び勇んで行動を起こしていきましょう!

◾️ 数々の戦闘を勝利に導いた英雄ナポレオン。その評価は軍人としての功績だけでなく、民衆のために多くの改革を成し遂げた政治家としての側面にも及ぶ。
「勝利を決定づけるのは数ではなく、必ず勝つとの強き一念である」など、現代にも通用する「勝利の要諦」を、ナポレオンの生涯から学ぶことができる


◾️ 恩師と呼べる師範との出会い、二人三脚で道場をもり立てた思い出。限界に挑む充実も挫折の痛みも、全て空手を通して味わった。この話を誰かにすると、たいていは「卯野君の “特技”は空手なんだね」と返ってくる。だが、その先輩は違った。「空手は卵野君の “生きざま”なんだね」
ああ、この人は、自分が大切にしていることを分かってくれる人だーー卯野さんの胸に熱い何かが宿った。たった一言でも、人の心を動かす力がある。「けれどそんな一言って、相手のことを真剣に祈り、話を聞き続けなければ、出てこないと思うんです」

結婚を機に形だけ学会に入会していた妻・弥生さん
(白ゆり長)も、創価家族の一言で発心した経緯がある。子育ての苦労も、多忙な夫とすれ違う悩みも、全て受け止めてくれた女性部の先輩の言葉だ。「今まで、よく頑張ってきたね......」。その一言、その声の温かさに、涙が込み上げて仕方がなかったという。
誰かを元気にするために、多くの言葉を費やす必要はない。卵野さんはそう思う。
一人にさせない
話を「聞く」といっても、聞く側のリーダーに心の余裕がなければ難しい。多くの友のもとへ足を運ぶ男子部のリーダーほど、実は「自分の話を誰かにもっと聞いてもらいたい」と思っているものだ。

◾️ 会合でよく耳にしたのは「自他共の幸福」という言葉です。
”自分のことで精いっぱいなのに、人のためになんて余裕はないよ”と思いましたが、ふと自分のもとを訪ねてくれた先輩の姿を思い出しました。

◾️ 日々の行動は、地味かもしれない。しかし、その一つ一つが、万年の『民衆の宮殿』を築いている。そして、自身の『生命の宮殿」を建設し、立派に荘厳しているのである」
この指導の通り、気が付けば、得がたき “友”らと、人生の舞台を自在に舞っていた。
心の交流の輪は、限りなく広がっていくかに見えた
o

◾️ 学会の伝統である座談会では、一人一人の話に耳を傾ける。仕事の悩み、家庭の問題、病気など話は多岐にわたるが、共通しているのは、皆がその「挑戦をたたえる」気風だろう。勝利の結果はもちろん、仮に思うような結果が出なくても、その挑戦自体に皆が温かな拍手を送る。諦めかけていた友は再びの前進を決意し、周囲の友もまた自らの挑戦を誓う。麗しい触発の往がある。

◾️ 介護は親からの最後のプレゼント”という

言葉に出合い、その通りだと実感しました。8カ月とい

う短い期間でしたが、父の介護を通して育まれた家族

の絆は、かけがえのない宝物です。

父ちゃん、最後の最後まで、一生懸命に生ききって

くれて、本当にありがとう。

◾️ 人は「自分の話を聞いてくれた」「分かってもらえた」と感じた時に、相手との間に“頼の橋”がかかる。一人で抱えていた “心の荷物”が軽くなり、「頑張ってみよう」という気持ちも湧いてくる。
つい話し込み、夜遅くになることも。家の明かりもガソリンスタンドもない帰り道。卵野さんは車の燃料計の残量を横目に見つつ、シカとの遭遇にも備えつつ、ハンドルを握る。友と心が通い合った瞬間を思い出しながら、窓越しに望む満天の星の美しさといったらない。春夏秋冬、そんな一日一日を重ねてきた。
なぜ「聞く」ことに徹することができるのか。卯野さん自身にも“そんな男子部の先輩”がいたからだ。

◾️一家和楽の信心
家族は、日蓮仏法の仰において、かけがえのないテーマです。ゆえに「一家和楽の信心」が一番目に掲げられているのです。
◆•◆
「和楽」という、世界平和の縮図を実現するために、いかにあるべきか。
第一は、自らが「家庭の太陽」となって、慈悲の陽光で皆を包むことです。
第二は、親子、夫婦という家族の絆は、三世の宿縁であることを知って、互いに尊敬し合うことです。
そして第三は、社会に貢献していくことと、その後継の流れを創り出すことです。
••◆
家族の在り方は千差万別です。しかし、私たちは、皆、創価家族です。久遠元初からの誓願という最も深く、最も麗しい生命の絆で結ばれています。

◾️
幸福をつかむ信心
この「つかむ」という一言には、深い深い哲学があります。
幸福は、他の誰かから与えられるものではない。自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つのでもない。究極は、各人が、自分自身で「つかむ」しかありません。必ず「つかむ」ことができる信心なのです。
◆•◆
法華経は、この世界を「衆生所遊楽」と説きます。
しかし、苦悩多き娑婆世界は、弱い生命力では遊楽していくことはできない。ゆえに信心で仏界の生命を涌現し、生命力を強くするのです。強い生命力を発揮すれば、起伏に富んだ人生の坂も悠々と楽しみながら上っていける。
◆•◆
絶対の法に則り、揺るぎない確に立った幸福な人生を歩める。他の誰でもない、自分自身が必ずそうなるのです。

◾️ 難を乗り越える信心
戸田先生は、「試練の山を一つ切り抜けるたびに、成仏という、崩すことのできない境涯となっていくのである」と、一つ一つ、乗り越えていくことの大切さを教えられました。
「一つ一つ」です。信心が深まるのを待って、それから難に向かうのではありません。難に向かっていく中で生命が磨かれ、金剛の信心が鍛え上げられるのです。
◆•◆
「難を乗り越える心」とは、「難を乗り越える祈り」であり、「難を乗り越える唱題」の異名です。
◆•◆
人間革命の道を進みゆく人々に、信心への不信、疑念を抱かせようとするのが、魔の本質なのです。決して、自分の信心が弱いから、また、自分の信心の姿勢が悪いから難が起こってくるわけではないのです。

◾️ 絶対勝利の信心
「絶対勝利」ーーこれこそ、私たちの信仰と人生の究極の目的です。戸田先生が衰弱したお体をおして熟考され、発表してくださった「永遠の三指針」の奥底を貫く、根本の精神です。
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日蓮仏法の根幹は、「師弟」にあります。「絶対勝利の信心」も、その要諦は、詮ずるところ、「弟」の二文字に凝縮されます。「師弟相違せばなに事も成べからず」(全900・新1211)だからです。
◆•◆
広宜流布の師匠と心を合わせて、法華経の兵法で戦えば必ず勝てる!
勇気ある信心を貫けば、必ず正義を宣揚できる!
異体を同心とする善の団結を築けば、いかなる悪をも打ち破れる!
これが「絶対勝利の信心」の極意です。

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