「介護を通して学んだ深い信心 – 母との日々から得た人生の教訓」
介護は多くの人にとって避けられない現実です。私は最近、認知症の母を介護された方の体験談を読み、深く感動しました。その方の経験から、私たちが学べる大切な教訓があると感じましたので、ここに共有したいと思います。
1. 信念の力
困難に直面した時こそ、自分の信念を貫くことが大切です。この方は仏教の教えに支えられ、「何があろうと信心を貫こう」と決意されました。
2. 家族の絆
介護は一人では担いきれません。この方の場合、夫や子どもたちの協力が大きな支えとなりました。困難を乗り越える中で、家族の絆も一層深まったそうです。
3. 周囲のサポート
同志や先輩の励ましが心の支えになったと語っています。困った時に相談できる人がいることの大切さを教えてくれます。
4. 感謝の心
苦しい経験であっても、最終的には「全てを感謝に変えました」と振り返っています。どんな経験にも意味があり、学びがあるという姿勢に感銘を受けました。
5. 成長の機会
この方は介護の経験を通じて、より深い信仰に目覚めたと語っています。困難は私たちを成長させる機会でもあるのです。
この体験談から、人生の苦難に立ち向かう勇気と知恵を学ぶことができました。私たちも、どんな困難に直面しても、信念を持ち、周囲の支えを大切にしながら、前を向いて歩んでいきたいものです。
〈いのちの賛歌 心に刻む一節〉 介護に携わって
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「介護に携わって」がテーマ。茨城県守谷市の女性部員に話を聞いた。
御文
詮ずるところは、天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。(開目抄、新114・全232)
通解
結局のところは、天も私を捨てるがよい、いかなる難にも遭おう、身命をなげうつ覚悟である。
何でも来いといえる境涯に
認知症になった母との日々
老いは必ず訪れるもの。分かっていても、“親の介護”という現実に「やっぱり心は揺れ動いて」。滝照子さん(66)=総県副女性部長(県総合女性部長兼任)=は、認知症の母・管野さよさんの介護を経験した。 ◇ 「信心強盛な父母でした」 1958年(昭和33年)、滝さんの両親は知人から折伏を受け、一家で創価学会に入会。喜々として学会活動に励む両親の姿が、幼心に焼き付いている。 滝さんは3人きょうだい。一家の生活は楽ではなかった。それでも両親は懸命に働いて、3人の子を大学まで送り出した。「感謝しかありません」。滝さんは顔を和ませる。 やがて、大学を卒業した滝さんは中学校の教員に。同僚だった夫・悟さん(66)=支部長=が入会し、89年(平成元年)に結婚した。 長男・勇輝さん(34)=男子地区リーダー=を授かり、次男・広志さん(29)=同=が生まれた頃から、病気がちの実父・浩治さんを支えるため、両親と同居することに。滝さんは教員を退職。「家事・育児と学会活動に専念しました」 それから数年して、浩治さんの最期を家族でみとった。73歳だった。「その日を境に、母がみるみる気落ちしていって……」 その後、長女・菜緒子さん(22)=県池田華陽会サブキャップ=が誕生。母・さよさんの様子に違和感を覚えたのは、この頃からだったという。 「娘の出産で入院していた病院まで、日用品を持ってきてもらおうと母にお願いしたんです。すると『行き方が分からない』と言われて」 さらに、さよさんは親戚の顔を忘れて怒鳴りつけたり、滝さんの夫に対して「あなた、誰?」と聞いたりすることも。 “おかしい”。母を連れて大学病院へ。検査の結果、レビー小体型認知症と判明した。 「ショックでした。真面目に、地道に学会活動に励んできた母は、当時まだ69歳。そんな母が認知症に……。正直、どう捉えていいのか分かりませんでした」 さよさんの症状は進み、程なく介護生活が始まる。 ある日、滝さんは手元の御書を開いた。「詮ずるところは、天もすて給え……」(新114・全232) 「それまでは、この御聖訓が示す“身命を捨てるほどの信心”というのが、ピンとこなくて」と言った後、滝さんは「大変な現実に直面して初めて、“今こそ、この御文を身で読んでいく時なんだ”って、すっと私の命に入ってきたんです」 “何があろうと信心を貫こう。一歩も引かずにやりきろう”。そう奮起した。 日に日に、さよさんの認知症状は進んだ。幻視や被害妄想に、排せつトラブル。家を抜け出して徘徊し、警察の世話になることもしばしば。戸惑いの連続だった。 3人の子育てに、母の介護。福祉サービスを利用するなど工夫を重ねても、「心身ともにギリギリでした」。 同志の励まし。夫や子どもたちの協力。滝さんが倒れなかったのは、支えとなる存在があったからという。「苦しくなると、学会の先輩によく話を聞いてもらっていました。それが大きかったと思います」 長女が小学校に入学する頃、医師から言われた。「これ以上の介護は難しいので、お母さんを施設に入れてはどうか」 滝さんは深く悩んだ。家族で話し合った末、空きのあった特別養護老人ホームを見つけ、さよさんを入所させることにした。すでに実の娘のことも分からないほど、母の認知症状は進んでいた。 「これで良かったのか」。幾度も葛藤し、祈ったと滝さんは明かす。「でも、特養での母は、いつもニコニコして、皆さんから愛されていて」 認知症になっても、穏やかな人柄は変わらなかった。「結局、いちずに信心を貫いた母の福運が、“守ってもらえる環境”をつくったのだと思わずにはいられませんでした」
2014年10月、さよさんは81歳で霊山へ旅立った。 その前年に、滝さんは圏婦人部長の任命を受けていた。「まるで母が『憂いなく、存分に広布のために尽くしなさい』と、私の背中を押してくれたようでした」 迷い、悩み、葛藤を重ねてきた介護の日々。滝さんは題目を唱えながら向き合い、「全てを感謝に変えました」。最後は“これで良かったんだ”との思いをつなぎ、母を次の生へ送ることができたと話す。 「認知症と分かった時は不安でした。徐々に変わっていく母の姿を見るのも複雑で……。それでも、老いの変化を一つ一つ受け止めて、前に進んでこられたのは、わが家に信心があったからです」 夫や、3人の子たちも献身的に支えてくれた。「おかげで、助け合うことが当たり前の家族になれて。絆も強まりました」 家計は火の車だったが、懸命にやりくりし、子どもたちは3人とも大学へ。長男と長女は創価大学を卒業し、次男も現在、使命の職場で奮闘を。「皆が信心を受け継いでくれていることが、何よりの喜びです」 池田先生は語っている。 「広布の活動には、さまざまな苦労があるかもしれない。しかし、皆さんは、大聖人が仰せの通りの人生の大道を歩んでおられる。 生命は永遠であり、学会活動によって積まれた福徳は、一家、一族に全部つながっていくことを確信していただきたい」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』) 滝さんは「楽しい経験ではなかったけれど、ありがたい経験だった」と前置きし、介護に携わった日々を振り返る。 「あの母との日々がなければ、私は“うわべだけの信心”になっていたかもしれません。きっと母は自分自身の姿で、私に“一歩深い信心”を教えてくれたんだと思うんです。苦難でも何でも“いつでも来い”と言える境涯になれました」
[教学コンパス]
「見た目と、脳の健康には相関がある」。約16万人の脳MRIを解析してきた、東北大学加齢医学研究所の瀧靖之教授。社交的で見た目がきちんとしている人は、そうでない人と比べて、“脳の若さ”が保たれる傾向があるという。身なりを整えれば人と会いたくなる。ファッションを考えると好奇心も高まる。自分の見た目を整えるところから“脳の健康の好循環”に入っていけると述べている。(「ダイヤモンド・オンライン」インタビュー記事、本年1月) 利他の菩薩行を実践する創価の同志は日々、多くの人と会い、語り、生命力あふれるさわやかな姿で、誠実に信頼を結んでいる。まさに仏法こそ、心身ともに最高の健康人生を開く根本の道である。かつて池田先生は「広宣流布に向かって、『さあ戦っていこう!』という心がある人は、生命に太陽が昇る。心が若々しい。心が輝いている」と語った。日々の学会活動にはつらつと励む中で、ますます若々しく心を輝かせながら、新たな友情を朗らかに広げていきたい。(優)




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