2024/11/10 聖教新聞から学ぶ


父母を成仏に導くことが真の孝養


御文

 親父の御かんきをゆりさせ給いて、前に立てまいらせし御孝養、心にまかせさせ給いぬるは、あに孝子にあらずや。(孝子御書、新1499・全1100)

通解

 父からの勘当も許され、以前のように孝養心にまかせて父に尽くすことができたのは、真実の親孝行の子ではないか。
 ◇ ◇ ◇
 真実の孝養の道とは何か。宗仲が1回目の勘当を受けた折、大聖人は兄弟に対して、「一切のことは親に随うべきではあるけれども、仏に成る道においては親に随わないことが孝養の根本なのではないだろうか」(新1476・全1085、通解)とつづられました。
 主従関係や上下関係を重んじる封建的な鎌倉時代にあって、兄弟は「親に随わない」生き方を貫くかどうかの葛藤を抱えていたかもしれません。しかし、大聖人は、「末代の凡夫がこの(法華経の)法門を聞くならば、ただ自分一人だけが成仏するばかりでなく、父母もまた即身成仏するのである。これこそ第一の孝養である」(新1328・全984、通解)と仰せです。
 本来、「信仰」と「孝養」は、どちらか一方を選び取るようなものではありません。最大の孝養とは、自身が強盛な信心を貫くことによって、父母を成仏の軌道に導くことを指します。
 念仏の強信者であった康光は、宗仲に2度の勘当を言い渡すなど、法華経の信仰への帰依をかたくなに拒んでいました。しかし、大聖人の数々の励ましに奮い立った兄弟の長年にわたる真剣な祈りと真心の振る舞いによって、ついに固く閉ざされた康光の心の扉は開かれたのです。父を入信に導いた兄弟は、まさに真実の孝養を尽くし抜いた姿といえます。
 「真実の親孝行の子ではないか」との言葉は、歯を食いしばってきた兄弟の苦労をねぎらう、師匠からの最大限の賛辞にほかなりません。大聖人の慈愛に包まれ、兄弟は涙を拭う思いで新たな前進を心に期したでしょう。

真の親孝行とは?いったいなんだろうという問いに対して明快に答えていただい御書であり指導である。

コメント

タイトルとURLをコピーしました