■いのちの賛歌 心に刻む一節〉 生死と向き合う
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」がテーマ。埼玉県八潮市の女性部員に話を聞いた。
御文
我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。(開目抄、新117・全234)
通解
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。諸天の加護がないからといって、疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。
何があろうと楽観主義で
ある日突然、夫が帰らぬ人に
志田純江さん(66)=総県副女性部長=は40歳の時、夫・正弘さんと死別した。当時、学会では婦人部本部長を務め、一人娘の阿部伸江さん(39)=女性部員=はまだ中学1年生だった。
◇
埼玉県八潮市で女子部時代を過ごした志田さんは、26歳の時、男子部の正弘さんと結婚。翌年、伸江さんを授かり、その2年後に千葉県流山市で夫の両親と同居を始めた。
ところが、「義父は、私が学会活動で外出することを快く思わなくて」。当時、志田さんの娘がまだ幼く、心配もあったのかもしれない。「会合から帰ると、厳しくとがめられたこともありました」
先輩の励ましを胸に、「私自身が変わる時」と一念を定め、家庭に、学会活動に、誠実に向き合った。やがて義父は、志田さんの活動に理解を示すように。71歳で他界するが、晩年、「がんばるんだよ」と、志田さんにかけてくれた優しい声音は忘れられない。
「義父のおかげで学会活動に喜び励める自分自身になれたんです。感謝してもしきれません」
その後、糖尿病を患っていた正弘さんの病状が進み、人工透析をすることになった。職場で要職を担い、壮年部でも地道に活動に励んでいるさなかだったという。
1999年(平成11年)3月11日、夜間の透析治療から帰宅した正弘さんが、部屋でくつろいでいた時のこと。突然、「頭が痛い」と言い出して、志田さんの目の前で倒れた。
すぐに救急車を呼ぶも、搬送時にはすでに意識を失っており、「何度呼びかけても、夫に反応はありませんでした」。
脳出血。5日後、意識が戻らないまま、正弘さんは43歳で帰らぬ人となった。冷たくなった夫の前で、ぼうぜんとするしかなかった。
「当時、娘はまだ中学生。同居の義母もいる。3人でどう生きていけばいいのか。喪失感、悲しみ、将来への不安。頭の中は真っ白で……」
学会同志の励ましに、どれほど支えられたか分からない。
“私自身がしっかりしなきゃ”と、志田さんは自らを奮い立たせた。悲哀を胸に押し込め、皆の前では気丈に振る舞った。無我夢中で祈っては、一日一日を生きた。
四十九日が過ぎてしばらくしてから、志田さんは、本部幹部会の中継会場に足を運んだ。
画面いっぱいに映し出される、池田先生の姿。同志一人一人を励ます、慈愛の師の声――。
“先生は、全て分かってくださっている”
そう思えた瞬間、今まで押しとどめていた感情が、せきを切ったようにあふれ出した。
“先生!”。画面が見る見るうちにかすんでいく。肩を震わせ、人目をはばからず泣いた。
“何があっても前を向こう。生涯、先生と一緒に、楽観主義で生きるんだ”
志田さんは、夫の分まで広布に尽くすことを師に誓い、涙を拭った。この時から、蘇生の人生が幕を開けた。
とはいえ、悲しみは消えない。子連れの夫婦を見れば、切なさが募った。それでも、命がふさぎ込むことはなかった。どんなに苦しくても、祈り抜く中で心を前に向けた。
正弘さんの友人・知人と仏縁を結び強めると、「自分の中に不思議と、夫の生命があると感じられるようになって」。志田さんは穏やかに笑う。
「実は、生前の夫と祈ってきたことがありました。それは“わが子を創価の学びやへ”ということです」
夫が霊山に旅立ってから5年後。伸江さんが創価大学に進学した。卒業してからは社会で奮闘を。地元では女子部(当時)のリーダーとして活躍。今では良き伴侶を得て子宝に恵まれ、幸せな家庭を築いている。
ひたぶるに“師弟の信心”を貫いてきた志田さん。「たくさん悩みました。でも、その宿命は全て、信心の偉大さを示すための使命だったのだと、しみじみ思います」。楽観主義の笑顔は明るい。
苦しみに直面するたび、志田さんは「諸難ありとも疑う心なくば……」(新117・全234)との御聖訓を幾度も拝してきた。
「絶対に御本尊を疑わない。学会活動に徹し抜く。結局それ以外に、幸福人生を開く道はありません」
夫との死別後も、志田さんは、がんを2度発症するなど大きな試練を経験。そのたびに強盛に祈り、病魔を制してきた。
経済的に苦しい時もあったが、「どうにかやってきました。信心のおかげで守られたとしか思えなくて」。
学会では、常に広布の第一線を駆けた。総県婦人部長の時には、総千葉をリードする広布の拡大で、師恩に報いることができたという。
同居していた義母を91歳でみとると、志田さんは、縁あって、茨城や大阪の地でも広布に尽力。かけがえのない創価家族と、各地で師弟共戦の思い出をつくった。
今年に入って現在の地へ。「私が青春時代に信心の原点を築いたこの埼玉で、再び広布のために戦える。不思議な使命を感じます」
池田先生は語っている。
「財産や地位や名声で、幸福は決まらない。まず題目をあげることだ。そうすれば、生命力がわいてくる。
何があっても楽しい。友人と語り、心ゆくまで題目を唱えながら、日々の一つ一つのことを、うれしく感じられる――。その姿に幸せの一実像があるといえよう。創価の運動は、この幸福の根本の軌道を教えているのである」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
伴侶を失う悲哀。自身の大病。経済苦。思いもよらない過酷な試練も、志田さんは信心で一つ一つ、乗り越えてきた。
「自分自身が目いっぱい悩んだからこそ、苦悩を抱える友に、心から“同苦”できる自分自身に変われたんです。そう確信できることが、今の私にとって一番の功徳です」
[教学コンパス]
大切な人との死別から1年以上経過しても、遺族のうち3割が深い悲しみを抱えている――国立がん研究センターの調査結果だ。かねて指摘されている、遺族ケアの重要性。一昨年に出版された『遺族ケアガイドライン』(金原出版)では、遺族が悲嘆のプロセス(喪の過程)の中でたどるとする「4つの課題」を示す。その第4段階は「故人との永続的なつながりを見出すこと」と。悲嘆の“先”に進む上で、故人との“絆の感覚”を深めていくことが大切なのだろう。
日蓮大聖人の門下に、広布の戦友だった最愛の夫を亡くし、病気の子を抱える女性門下がいた。与えられたお手紙には、「ご主人はきっと、近くで見守ってくださっているはずです」(新1696・全1254、趣意)とある。“亡き夫と共に進もう”――師の慈愛に触れ、悲嘆の淵から立ち上がった門下は、いちずに求道の志を貫いていく。
妙法の絆は三世永遠と捉える、日蓮仏法の生命観。この哲理を胸に、多くの創価の同志が、人間蘇生のドラマを日々演じている。(優)
■
コメント