御書と指導

■御文
 頭をふればかみゆるぐ。心はたらけば身うごく。大風吹けば草木しずかならず。大地うごけば大海さわがし。教主釈尊をうごかし奉れば、ゆるがぬ草木やあるべき、さわがぬ水やあるべき。(日眼女造立釈迦仏供養事、新1610・全1187)
通解
 頭を振れば、髪が揺らぐ。心が働けば、身体が動く。大風が吹けば、草木も揺れる。大地が動けば、大海も騒ぐ。同じように、教主釈尊(御本尊)を動かせば、揺るがない草木があるだろうか、騒がない水があるだろうか。

掲げた御文では、万物を揺り動かす妙法の祈りの偉大さを教えられています。頭と髪、心と身体、大風と草木、大地と大海の譬えは、物事の根本を動かせば、一切を大きく動かしていけることを示されています。ここで仰せの「教主釈尊」とは、大宇宙の一切の根源を指し、御本尊を意味していると拝されます。
 私たちの実践でいえば、大聖人が末法の衆生のために顕された御本尊を信受し、真剣に祈り抜くことが、“教主釈尊を揺り動かす”ことになります。




■〈御文〉
 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。「諸余の怨敵は、みな摧滅す」の金言むなしかるべからず。
 (四条金吾殿御返事〈法華経兵法の事〉、新1623・全1192)
〈通解〉
 どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いなさい。(法華経薬王品にある)「その他の敵は、皆ことごとく打ち破る」との金言は、決して空言であるはずがない。
〈池田先生の講義〉
 自身が妙法の当体であると信じて、今いる場所で、現実の課題に挑戦する。
 そこにこそ「勇気」がある。そこに「法華経の兵法」は発揮される。そこに「勝利と栄光の不滅の歴史」は築かれていく。
 「師のために!」「広布のために!」――この一念を定めたときに、本当の力が出る。あえて私の体験から言えば、これが「法華経の兵法」です


◾️ 〈御文〉
ばしいかな、汝、蘭室の友に交わって麻畝の性と
成る。<立正安国論、新43・全31>
〈通解〉
なんと喜ばしいことだろうか。あなたは、薫り高い蘭室の友に交わって感化され、麻畑に生える蓬のようにまっすぐな性質になった。
<池田先生が贈る指針>
花に芳しき香りがあり、人にも人格の薫りがある。
慈悲の祈りから発する誠実の振る舞いや真心の言葉は、と相手の命に染み渡り、その心も香しく変え
る。
家庭も職場も地域も、「蘭室の友」を広げる舞台
だ。妙法の当体蓮華の生命をありのままに薫らせ、信
頼の共鳴をすがすがしく!ここに立正安国の実像が

ある。

◾️ 御文
いよいよ強盛の志あるべし。氷は水より出でたれども、水よりもすさまじ。青きことは藍より出でたれども、かさぬれば藍よりも色まさる。同じ法華経にてはおわすれども、志をかさぬれば、他人よりも色まさり、利生もあるべきなり。(新1690・全1221)
通解
いよいよ強盛な心を、起こしていきなさい。氷は水からできるが、水よりも冷たい。青い色は、藍という草から生まれるが、重ねて染めれば、藍よりも色が鮮やかになる。同じ法華経ではあっても、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益もあらわれてくるのである。

◾️ 信心の実践で拝せば、本尊を根本に信心に励み、自行化他の実践を重ねていくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯を築いていけることを表している。言い換えれば、“言心とは永遠に深め続けていくもの”とも拝せる。
倉心の修行を続ける中で、ともすれば“ここまでやったのだから、もういいだろう”といった心が生じることもあるかもしれない。
そうした状況に陥らないためにも大切なのは、たゆまず祈り、学び、友を励ます、日々の学会活動である。慢心や惰性を排し、“昨日より今日” “今日より明日へ”と、地域広布に励んでいく中で、自身の生命が磨かれる。 “広布のために”との一念で、信心を↑続していくことで、不動の自己が築かれるのだ 。

そして、同じ法華経、つまり同じ本尊への信心であっても、いよいよ強盛な信心を奮い起こして、広布の活動に励み続けていくことで、心身にますます力と輝きが増し、功徳もますます大きくなると仰せだ。
池田先生は、行き詰まった時こそ勝負の時であり、「壁を乗り越える挑戦自体が、自身の境涯を確実に広げていく因となることは間違いありません。戦えば必ず生命は変わります。宿命は絶対に転換できる」と講義されている。
「二月間争」の勢いそのままに、“いよいよ”の決意で自身の壁を打ち破り、勝利の凱歌を轟かせよう。

■〈御書に学ぶ創価の心--池田先生の講義から〉1 題目は前進と勝利の力
〈御文〉
 深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみがくとはいうなり。
 (新317・全384)
〈通解〉
 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠ることなく自身の命を磨くべきである。では、どのようにして磨いたらよいのであろうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということなのである。
〈池田先生の講義〉
 題目は「前進」の力です。題目は「勝利」の力です。あらゆる戦いは、まず祈ることから始まります。題目を唱え抜いた人には、誰もかないません。
 私たちは、どこまでも日夜朝暮にたゆまず題目を唱えながら、我が生命を鍛え抜いて、勝利また勝利の人生を築き上げていこうではありませんか。

■御文
 総じて、日蓮が弟子檀那等、自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを、生死一大事の血脈とは云うなり。(生死一大事血脈抄、新1775・全1337)
通解
 総じて日蓮の弟子檀那たちが、自分と他人、彼と此という分け隔ての心をもたず、水と魚のように親密な思いを抱き、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えていくことを、生死一大事の血脈というのである。
 

■池田先生の指針から
 私の真実の願いは、皆さん方が幸せになることです。私の最大の喜びは、同志の皆さんが大功徳を受けて、幸福に満ち満ちた生活をしていくことであり、そして、皆さん方のお子さん、お孫さんが、広布の人材として、社会の指導者として、たくましく成長することが、何よりの喜びなのであります。(中略)
 「同志」とは、同じ志に立つということであります。その人こそ、私の最も尊敬する、心と心の通じ合った同志です。
 その人の人間としての価値は、役職によって決まるものではない。真面目に信心し、自己の使命を全うし、己心の妙法を涌現し、人間革命し、宿命転換していく人が、最も尊い人であり、勝利の人生を開いている人である。(1967年7月10日、中部本部幹部大会でのスピーチ)
 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 
 ただただ御本尊を根本としたそれぞれの立場と使命を尊重しながらの異体同心が最肝要である。(中略)
 それぞれが理解しあい、尊敬しあって仲良く、この異体同心の人間の和で進んでください。同志が大変なときは「友のうれいに我は泣き」で、抱きかかえるような気持ちで励ましてあげるのです。人間の社会ですから、お互いに凡夫ですから、ときにはいいこともあれば失敗もあるでしょう。しかし信心を根本にこの御書(=生死一大事血脈抄)を思い起こして助け合い、心から守り合って前進していくのです。(1976年7月27日、中部記念幹部会でのスピーチ)

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